「世界の王」から新記録の三振を取るため「もう1周回そう」・江夏豊さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(25)
▽抑え投手にとって剛速球や鋭い変化球より大事なもの 76年に南海へ行って6勝しかできなくて、野村監督も何とか江夏を再生する、球数にして40、50球なら放れるという部分を考えてくれたのがリリーフ。当時は(パ・リーグが)前期・後期制やDH制で、どんどん野球が変わってきていてた時代です。野村監督は、これからの強いチームには抑えが絶対必要だと、ずっと考えていたらしいんですよ。「江夏、おまえは先発で長いイニングは無理なんだから、やってみないか」と。ピッチャーは先発完投してなんぼ、勝ち星が全ての時代です。リリーフは俗に言う落ちこぼれ、先発できないピッチャーがするものだという感覚でいました。当時はリリーフなんかで飯が食える時代じゃなかったです。やっぱり心のどこかで先発したいと、勝ち星に執着心を持っているところがあり、なかなか素直に受け入れられませんでした。 最終的にOKしたのは77年6月。「野球界に革命」と言われ、男として革命という言葉は魅力があるじゃないですか。革命って何ですかと監督に聞くと「DHとか考えてごらん。走れない、守れない選手なんて今まで要らなかった。打つだけの選手は使えなかった。でも今は十分戦力になる。これからの時代には絶対必要だから、リリーフを頼む」と言われて引き受けました。
リリーフの心理というのは、半分はカッカと燃えてますよ。抑えてやろうと、やっぱり精神的に負けたくないと。僕らがマウンドに上がるのはチームが勝っているから。でも、局面は苦しい場面ばかり。だから半分は燃えながら、でも、どこかに冷めた部分を常に持っておかないと冷静に見えない。投げる時は左目でミットを見て、右目でバッターを見る。燃えてるだけでは見えないんですよ、冷めてる部分がなげれば。それを勉強する。それがリリーフなんです。速い球が投げられる、落ちる球が放れる、三振が取れる、これも大事なことだけど、リリーフでもっと大事なのは、その場面を冷静に対処できることです。 先発の時には自分の理想のピッチングを求めるから、その中に失敗もあり、失点もある。リリーフの場合は、それは許されない。絶対にチームが逃げ切る。これが最低条件です。リリーフピッチャーの面白さはランナーを置いての配球。最高に難しくて面白い。1点差なら1点もやらない。2点差なら1点やってもいい。その代わり2点目はやらない。3点差なら3点目をやらないためのピッチングを、その場その場でさっと組み立てる。1球目の入り方から、勝負球の持っていき方。これが抑え投手の最高の楽しみであり、喜びなんですよね。今のリリーフピッチャーはかわいそう。1イニング限定で、ランナーなしで上がっているから何の勉強にもならない。
× × × 江夏 豊氏(えなつ・ゆたか)大阪学院大高から第1次ドラフト1位で1967年に阪神入団。同年から6年連続の最多奪三振。68年はプロ野球記録のシーズン401奪三振。南海(現ソフトバンク)移籍2年目の77年から抑え投手に。広島で79、80年と連続日本一。81年は日本ハムでリーグ優勝。82年7月に名球会入り条件の200勝に到達。84年に西武移籍。85年春に米大リーグのキャンプに参加するも引退。通算206勝193セーブ。48年5月15日生まれの75歳。兵庫県出身。