「世界の王」から新記録の三振を取るため「もう1周回そう」・江夏豊さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(25)
1968年9月17日、巨人との4連戦の第1戦、僕と高橋一三さんが投げ合いました。シーズン最多奪三振記録まで残り八つでした。一回に2個、二回2個、三回に2個、四回も王貞治さんで2個目の三振を取って「よしやった」と、るんるん気分でベンチに返ったんです。そしたらキャッチャーの辻恭彦さんから「おい、ユタカ、まだタイ記録やで」って言われて。よく考えたら新記録じゃないんですよね。試合は四回で0―0。相手の一三さんも良かった。これは1、2点の勝負やなというぐらいのゲーム。打たれたくないし、1点取られたくない。でも(新記録の三振は王から奪いたくて、他の打者を)三振させたら駄目だということで、どうしたらええか。1周回そうと考え、五、六回と三振を取らなくて、七回に王さんが出てきて、やっと全力投球で九つ目を取った。今から考えると、よくできたなと思います。あの時の雰囲気というのは両軍ベンチもファンも、みんな(三振の記録を)分かっていました。打席に入ってきた王さんも分かっていたと思います。バッターにしてみれば、そういう記録に名前なんて残したくないですよ。でも、王さんは当てにきたんじゃなしに、スタンドに放り込もうというぐらいのスイングをしてくれた。僕に最高の敬意を払ってくれた。改めて王さんの素晴らしさを教えられました。
(71年の)オールスター戦の9者連続三振では数万人のお客さんが一瞬息をのみ、静まり返りました。あの雰囲気というのは何か怖いものを感じますよね。マウンド上にいて、本当に皆の目が自分に来ているのは、ありありと分かるわけです。だから、緊張感から早く逃れたいという意識がありました。9人目の加藤秀司がファウルを打った時、捕手の田淵幸一に「追うな」と言いました。追ったところでスタンドに入るファウルです。もう早く座ってくれと、早く解放されたいという気持ちから「追うな」と言ったのを、マスコミが勝手に「捕るな」に換えました。 実際に三振を取った時には、ほっとしました。あの時、8人取った後、パ・リーグのベンチに野村克也さん、張本勲さんが残っていて、どっちか出てくるなと思っていました。それが加藤。同い年で高校時代から対戦しています。あの頃は振り回すだけの荒っぽいバッターですから、もう自分では99・9%取れるという確信がありました。だから「田淵、早く座ってくれ」なんです。