今年で創建400年!と思いきや、まさかのフライングだった 江戸最大・富岡八幡宮の歴史を定義した神職の使命感
両説がある中で、それでも八幡宮が寛永4年を創建と定義づけたのは、他の史料と読み比べた結果、自ら幕府に報告した記録である寺社書上を尊重すべきであり、最も信頼できるとの結論に至ったからだ。 ▽史料集めがライフワークに ただ、こうした歴史を正確に定義できるようになったのは実は最近になってからのことだという。八幡宮には、他の著名な神社にあるような「社史」はなく、元々はあったとされる重要史料も関東大震災や東京大空襲で散逸し、歴史が途絶えてしまっていた。 大学を歴史学科で学んだ松木さんが2000年に八幡宮に神職として勤め始めたとき「ここの歴史がほとんど分からない」と衝撃を受けた。以降は国会図書館や公文書館に通い詰めるのがライフワークになった。 関連史料を見つけてはコピーをして、たった1行記載があるだけの書籍を購入したことも。10年以上かけて少しずつ集めた史料は段ボール数箱分になった。ようやく歴史の輪郭を捉え、2012年に「富岡八幡宮の御祭神と深川八幡祭り」との書物をまとめた。
その後さらに検証を進め、400年の節目を迎えるのを前にリニューアル。まとめ上げた書物は4冊になった。「過去に八幡宮に携わった人の道のりを掘り起こし、多くの人に知ってもらうのも400年を迎えるに当たっての重要な仕事」だと力を込め、今後も収集を進め、歴史と向き合っていくつもりだ。 ▽300年は関東大震災の復興が優先 ちなみに創建300年の1927年は、大々的なイベントがあったとの記録は残っていない。関東大震災で被災した直後のため、社殿の復興を優先させており、それどころではなかったのではないかとのことだ。 歴史をしっかり定義し、ようやく舞台が整ったのは、松木さんの「神職として地域の歴史を伝えていく役割がある」との使命感があってこそだ。 折しも2023年12月上旬、八幡宮側と町会長が一堂に会し、2027年に向けて400年記念事業を進めていくことが確認されたという。松木さんは「具体的な中身はこれからになるが、第一歩を踏み出せた」と満足げに話した。