切なさがあふれてとまらない…伝説の女性エッセイストが描く「昭和の食卓」に心揺さぶられる
感情を揺さぶられる
今月11月の末(28日)は、作家・脚本家の向田邦子さんの誕生日です。1929年生まれ、今年で生誕95年を迎えます(1981年に逝去)。 【写真】昭和の満員電車のすさまじさ…! 社長秘書や映画雑誌の編集者を経て、やがてラジオドラマやテレビドラマの脚本を書くようになり、『寺内貫太郎一家』『阿修羅のごとく』などの名作ホームドラマにたずさわりました。 エッセイの名手としても知られます。圧倒的な記憶力からつむぎだされる、映像が浮かび上がるようなその作品には、根底に悲しみとユーモアが流れ、読んでいると独特の切なさがこみあげてきます。 向田さんの代表的なエッセイの一つが『眠る盃』。 本書の表題作「眠る盃」は、読者に深い印象を残します。とりわけその昭和の食卓を描いた部分は、ノスタルジックで、感情を揺さぶられるものがあります。 〈人の名前や言葉を、間違って覚えてしまうことがある〉 という一節からはじまり、歌詞の覚え間違いへと思い出はつらなり、やがて昭和の食卓が描き出されます。 〈子供のころ、わが家は客の多いうちであった。保険会社の地方支店長をしていた父が、宴会の帰りなど、なにかといっては客を連れて帰った。 これから客を連れて帰る、と父から電話があると、私は祖母の手伝いで、よく香炉に香をたく役目をした。薩摩焼のいい形をした香炉であった。香が縁側から私の部屋まで匂った。正直言うと気持ちの中では、私の「荒城の月」の一小節目は、 「春香炉の 花の宴」なのである。〉 〈やがて、すでに相当に酒気が入った客が到着する。上きげんの父の声。お燗を持った母の白足袋が廊下をせわしなく行ったり来たりする。 やっとお客さまが帰って、祖母は客火鉢の始末をはじめる。私は客間にゆき、客の食べ残した寿司や小鉢物をつまみ食いする。みつかると叱られるのだが、どういうわけか、いつも酢だこばかり残っていた〉 歌詞の覚え間違いから、昭和の風景が目の前に立ち上がってくるようです。 1929年生まれの向田さんが子供のころということは、戦前、1930年代の末くらいでしょうか。現代から振り返ると、なんとなく暗いイメージがつきまとうこの時代ですが、市井では、こうしたなんということもない、しかしどこか胸に迫る、あたたかい情景がみられたのです。 * さらに【つづき】「向田邦子が描く「昭和の貧乏」の魅力的なリアリティ…その時代に「日本が経験していたこと」」でも、向田作品の魅力について紹介しています。
古豆(ライター)