長谷部誠29歳「人間として納得しないんです」“年俸大幅ダウン移籍”のち降格危機…なぜW杯直前ドクターストップでもチームに尽くしたか
W杯イヤー、ドクターに告げられた悲劇
しかし、W杯イヤーに入った2014年1月上旬に悲劇が襲う。 ウインターブレイク中のスペインキャンプでの練習試合で、右膝の半月板を痛めてしまったのだ。このときはすぐに日本へ飛び、手術を受けた。 その後はニュルンベルクに戻り、復帰に向けてリハビリに励んでいた。ところが、2月末に再度、同じ個所を痛めてしまったのだ。ちなみに前半戦で勝利のなかったニュルンベルクは、シーズン途中の監督交代の成果が出て、後半戦に入ってから一気に調子を上げていた。長谷部の復帰が1部残留を決定的にする最後のピースになると思われていたタイミングでのあまりに痛いアクシデントだった。 さすがの長谷部もこのときばかりは動揺していた。 筆者は再手術のために日本へ飛ぼうとしていた長谷部をフランクフルト国際空港で待ち受けていたが、「何かあるから、帰るということだろうね。今は『話すな』と言われているから……」と短く返ってきただけ。長年彼の取材をさせてもらったが、このときほど口数が少なかったことはない。 日本で再手術をするにあたってドクターからはこう言われた。 「今シーズンの終わりに復帰できるかどうかという状態だと思う」
チームを助けるために、試合に出たいです
長谷部はそのときの心境を後にこう明かしている。 「頭をよぎったのはニュルンベルクのことでした。ボルフスブルクから移籍してきて(自分が出場した試合では)一度も勝てていなかったので。1月に日本で取り組んだリハビリまでは完璧だったし、しっかりステップを踏んでいた感じはありました。だけど、いま思えば(練習の強度を上げるのが)少し早かったのかな。ニュルンベルクからは(13年夏の)移籍期限ぎりぎりで、高い移籍金を払ってもらい、助っ人のような形で呼ばれたので、申し訳ないという気持ちが大きくて……」 そこからのリハビリは慎重に進められた。その結果、ニュルンベルクのチーム練習に部分合流できたのが、4月29日。最終戦のわずか11日前のことだった。その直後の試合の出場こそ見送ったものの、シーズン最終戦となるシャルケとのアウェーゲームの前に、監督にこう伝えた。 「チームを助けるために、僕は試合に出たいです」 この時点で自動残留の可能性は消えており、最終戦でシャルケに勝ち、順位が1つ上にいたハンブルガーSVが引き分け以下に終わった場合に、入れ替え戦に回る16位に滑り込めるという厳しい状況だった。 何より、シーズン終了後にブラジルW杯が控えていた。シャルケ戦で同じところを痛めるようなことがあったら、その時点でW杯に出るチャンスは消えてなくなる。 それでも、長谷部に迷いはなかった。
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