長谷部誠29歳「人間として納得しないんです」“年俸大幅ダウン移籍”のち降格危機…なぜW杯直前ドクターストップでもチームに尽くしたか
元日本代表MF長谷部誠が、偉大なサッカー選手としてのキャリアを終えた。00年代後半からドイツで取材を続けた日本人ライターが、強く印象に残った思い出を所属クラブ時代ごとに綴る。(NumberWeb引退記念ノンフィクション/第4回も) 【秘蔵写真】「長谷部が泣き崩れた…」ラストゲーム後、娘&息子との感動的ハグ。19歳の“茶髪ロン毛時代”→内田や清武らから愛されまくり…長谷部誠の軌跡を写真で見る バランスよりも勇気を。 そんな言葉がぴったり当てはまる異色の1年間は、人々の記憶からはほとんど抜け落ちているかもしれない。 ただ、長谷部誠のなかにはいつまでも残っている。傷跡としても、大切な恩としても。 この1年を語らずして、後の長谷部の成功を語ることはできない。
今もクラブ史上2位タイの移籍金でニュルンベルクへ
ボルフスブルク編で触れたとおり、長谷部は2013-14シーズンの開幕後にニュルンベルクへと移籍した。2013年9月2日、移籍期限ぎりぎりでのことだった。長谷部に投じられた250万ユーロという移籍金は、当時のニュルンベルクが支払った金額としては歴代最高額タイである。あれから10年以上が経ち、移籍市場もインフレが進んでいるのもかかわらず、この金額は今もクラブ史上2位タイの移籍金として、移籍に関する権威となったサイト『Transfermarkt』に載っている。 もちろん、あの決断に周囲は驚いていた。 ニュルンベルクは伝統あるクラブだが、ドイツの全クラブのなかで2部に降格した回数が最も多い。自前のスタジアムは持っておらず、本拠地はニュルンベルク市から借りて使用している。 一方のボルフスブルクは、1997年にクラブ史上初めて1部に昇格してから一度も降格したことがない。実質的な親会社であるフォルクスワーゲン(VW)のおかげで資金力が豊富だ。とりわけ、当時は同社の排ガス規制逃れの不正が明るみに出る前で、サッカーに入れあげていたVWグループのCEOだったヴィンターコーンの意を汲み、チーム強化に惜しみなく資金が投入されていた時期だ。 実際、2012-13シーズンには、シーズン途中にもかかわらず、ニュルンベルクへ違約金を支払ってまでヘッキンク監督を“強奪”している。そして、そのヘッキンク監督の下で強化を進めた結果、2015年にドイツ杯優勝を果たした。2009年のブンデスリーガ優勝以来となるタイトルを手にしただけでなく、2016年にはCLの決勝ラウンドに初進出(ベスト8)していた。
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