エネルギー小国日本の選択(8)石油危機、エネルギーに対する意識の高まり
原子力が本格活用され始めた1970年代、日本最大のエネルギー源は火力発電にもガソリンにも使われる石油だった。ところが大油田の多い中東での戦争をきっかけに石油の値段が急騰し、世界は大混乱に見舞われる。資源に乏しい日本は輸入原油、特に中東産に頼ってきたため、企業も家庭も大打撃を受けた。石油の供給源を失った太平洋戦争の悪夢がよみがえった。 ただ、危機を教訓に変え、エネルギー源の多様化や省エネの推進に生かすしたたかさも持っていた。戦後、右肩上がりで成長し、大量購入、大量消費をしてきた時代で1度立ち止まり、1つのエネルギーに偏ることの危うさをあらためて学んだ。 石油への過度な依存が見直され中、望ましいエネルギー源の在り方をめぐる議論が巻き起こった時代を見ていく。
トイレットペーパーが消えた
「本日は終了致しました」。トイレットペーパーの品切れを知らせる案内板が各地のスーパーや薬局に掲げられた。1973年、石油危機による出来事だ。買い占めや売り渋りも起き、トイレットペーパーは品薄となり、値上がりした。数量限定で販売する店などには連日買い求める主婦らが大行列をつくった。 なぜそんなことが起こったのだろうか。背景にあったのは1973年に起きた第4次中東戦争だ。その直後、石油輸出国機構(OPEC)加盟6カ国が、産油国に対する開発利権料などを基に算定される「原油公示価格」を約70%引き上げると急遽発表。以降、OPECは原油の減産や更なる値上げといった措置を打ち出し、世界中が供給不安に包まれた。石油製品でないトイレットペーパーまでもが急騰する異常事態を呈した日本では、続いてきた高度経済成長に急ブレーキが掛かる形となった。
OPECの台頭
中東戦争は、中東諸国と先進国を中心とする諸外国の間で、利害や宗教史観が複雑に絡み合って起こってきた。歴史は第1次世界大戦前に遡る。中東の大油田は欧米の国際石油資本(メジャー)が開発を主導し、産油国の取り分は限られていた。 第2次世界大戦前後から、そうした不平等な関係や植民地支配からの脱却、独立を目指す気運が世界中で高まっていた。国家や民族のナショナリズムが高揚していた時代で、1945年3月にサウジアラビアやエジプト、イラク、シリアなど7つのアラブ諸国から成るアラブ連盟ができた。アラブ世界の団結や、イスラエルとの正常な国交の模索などが目的だ。 1947年に国連でパレスチナ分割が決議され、1948年にイスラエルが建国を宣言、アラブ諸国はイスラエルとの戦闘に入った。第1次中東戦争である。以降、両者間では争いが絶えず、1973年まで4度にわたる大きな戦争が起きている。 パレスチナ解放機構(PLO)設立と並んで、アラブ連盟が後押しした大きな動きにOPECの結成があった。