竹刀で子どもを叩き続けるのは「愛のムチ」なのか…スポーツが「暴力の温床」になってしまう根本原因
■「なぜ相談なんかしたんだ」と怒った保護者 特に「小学生のスポーツ指導環境において、スポハラに関する意識が十分に浸透していないのではないか」と土屋教授は指摘する。地域スポーツの多くが「ボランティア」であることも事態に拍車をかけているように見える。「平日・休日の時間を使って指導してもらっているのに、先生に文句は言えない」といった声もよく耳にする。 剣道指導の現場にいる私自身、体罰・暴言について悩んでいる保護者の話を聞き、公共機関に相談をしたことがある。人間関係もあるし、半年以上悩んだ末だった。その結果、ほかの保護者から「なぜ相談なんかしたんだ」「体罰に耐えられない子どものためになぜこんなことに」「大会に出られなくなったらどうするんだ」など、厳しい叱責を受けた。 見て見ぬふりをしていた先生に対し、責任を言及した際は「目上の人間に対する態度がなってない」と叱責された。 全日本剣道連盟は「人間形成」を謳っているが、なんのために剣道をしているのか、見ていてわからなくなることがある。 この点について話したところ、土屋教授は以下のように強調した。 「ボランティアを理由に、不適切な指導を正当化することはできません。スポーツは社会的活動であり、参加者の安全・安心が最優先されるべき。コンプライアンスを守れない場合は、有償・無償に関わらず指導自体を行うべきではありません」 ■「強くなるためには体罰も必要」? 土屋教授によると「スポハラを容認しているのは指導者が多いというイメージを持つ人が多いかもしれませんが、実際はそうではない」。 JSPO関係者と一般の方を対象にアンケート調査を行ったところ、スポハラや指導に関して勉強している指導者のほうが意識が高く、一般の方は「強くなるためには体罰も必要なことではないか」「それによって本人が成長するなら許されるのではないか」と考える結果が出たという。私自身も「体罰があったとしても、それ以上に得るものがある」という保護者の声を耳にしたことがある。 「保護者による指導者への盲目的な感謝や依存は、グルーミング(性的な手なづけ行為)と類似する危険な関係性を生み出す可能性がある」と土屋教授は指摘する。不適切な指導を見過ごしたり、正当化する原因になっているのだ。 頑張り屋で、明るく元気で優しい子どもほど、自分が嫌な思いをしていても我慢したり、保護者を心配させないように気を遣う。「無理な我慢が蓄積して、深刻な問題(例えば突発的な自殺など)に発展する可能性もあります」と土屋教授は指摘する。 「子どものため」と信じる大人たちの無理解が、問題の表面化や解決を妨げることがあるのだ。