「私に何かあったら…」災害時、我が子の命を守る親の不安 「医療的ケア」が突きつける現実と矛盾 #知り続ける
「5分も離れることはありませんね」 岩手県宮古市の野沢千都子さん(52)はそう言って、傍らにいる長女の百花さん(16)に目をやった。 16年前。初産に臨む千都子さんは、我が子に会えるのが楽しみで仕方なかった。 生まれた百花さんは体重2000グラム弱。なんだか元気がない。そのまま入院した。心臓に原因があると分かり、生後3週間で緊急手術を受けた。 生後3カ月、腸がねじれる腸捻転を起こした。救急車で別の病院へ運ばれる途中、一時的に心臓が停止。脳に酸素が運ばれなくなった。 【写真まとめ】震災直前に撮影された一家の写真
一命は取りとめた。でも、笑わない。目も合わない。なんでかな――。そう思っていたとき、医師から告げられた。「脳に障害がある。一生歩くこともない。話すこともできません」。生後7カ月だった。 「ああ、終わった。この子の人生も、私の人生も」 心臓と腸を2回ずつ手術して、1歳になる少し前に退院した。ずっと点滴だった栄養補給は、朝昼晩のミルクになった。百花さんは吸う力が弱く、1回150ミリリットルあげるのに2時間近くかかる。やっと飲んだと思ったら吐き出して、また最初から。ひたすら繰り返した。
津波にのまれた自宅
百花さんが3歳になって間もない2011年3月11日。海に面した宮古市鍬ケ崎地区にある自宅を、震度5弱の揺れが襲った。 「家がつぶれる。津波が来る」。防災無線が鳴り響く中、千都子さんは急いで百花さんを車に乗せた。1歳2カ月の弟陽向(ひなた)ちゃんを義母フサ子さん(80)がおぶい、一緒に車で高台を目指した。夫雄一郎さん(50)も別の車で後を追った。 途中、道路に水があふれた。千都子さんは恐怖で運転できなくなり雄一郎さんと交代。混乱の中で自分は通りかかった車に乗せてもらい、家族とは別に小高い場所の小学校へ逃げた。校舎2階から見えたのは「ざーっ」と土煙を上げて家々をのみ込む黒い波。自宅ものまれたと悟った。
家も薬もない
一方、高台へ逃れたフサ子さんたちは、道ばたで途方に暮れていた。「この子、顔色が悪いよ。寒いんじゃないの」。年配の男性が百花さんを気遣い、一家を泊めてくれた。 その晩、合流した千都子さんが見た百花さんの顔は青白かった。持って逃げたのは2、3日分の着替えだけ。薬もない。戻る家もない。「明日から、どうしたら……」。助かった安堵(あんど)とともに、不安がこみ上げた。 物音に敏感な百花さんは夜中に何度も目を覚まし、泣く。嘔吐(おうと)も多い。体温調節も苦手。感染症にかかれば即入院だ。 「人目も気になる。迷惑かけるんじゃないか」。避難所や仮設住宅での暮らしは考えられなかった。翌日から3週間ほど市内の親戚宅に身を寄せた後、知り合いのつてで見つけた近くの古い空き家を借り、5年間住んだ。