スケート観が一変した荒川静香さん、本郷理華さんとのアイスショー 「誰かの心に残る」を追い求めて
フィギュアスケート女子の東北生活文化大学・三浦向日葵(3年、東北)が今年3月、自身のSNSで競技生活からの引退を発表した。数々の全国大会に出場し、10年以上にわたって仙台のフィギュアスケート界を牽引(けんいん)してきたスケーター。幼少期から目指し続けた「誰かの心に残るスケート」を体現するまでには、努力と葛藤の日々があった。 【写真】昨年12月の「仙台市長杯」に登場した荒川静香さん
「誰かの心に残るスケート」を目指して
小学1年生の頃、親戚らと訪れた盛岡市のスケートリンクで滑ったのを機にスケートを始めた。小学3年生の10月からは地元・仙台市のクラブに所属。羽生結弦さんの元コーチでもある阿部奈々美コーチに師事し、着実に技術を磨いた。 練習はほぼ毎日行い、土日は午前10時頃から午後6時頃までリンクに立ち続けた。平日も、1時間のレッスンを物足りなく感じるほど練習にのめり込んでいたという。三浦は「もともと飽き性なんですけど、スケートだけは飽きなかった。シングルジャンプの次はダブルジャンプ、その次はコンビネーションをつけてみようと、どんどん難易度を上げていくことが楽しくて、毎日コツコツ練習していました」と当時を回顧する。 小学5年生の夏、三浦の〝スケート観〟が一変する出来事があった。仙台出身のトップスケーターである荒川静香さん、本郷理華さんと3人でアイスショーに出演することになったのだ。 「スポットライトに当たってお客さんの視線を浴びる経験は、その時が初めてでした。試合とはまったく違う、今までに感じたことのない感情や雰囲気を味わわせていただきました。同時に、『誰かの心に残るスケート』をしたいと思うようになったんです。点数はつかなくても、『三浦向日葵のスケート』が1人でもいいから誰かの心に残ればいいなと……」 もちろん、オリンピックや全日本選手権に出場することも大きな目標の一つ。ただ、それ以上に目指すべきスケーターとしての将来像が、幼心にはっきりと浮かび上がった。
「表現」へのこだわり持てなかった中高時代
「誰かの心に残るスケート」は簡単に会得できるものではなかった。試合ではジャンプやスピンを成功させるのに精いっぱい。練習中もジャンプの出来によって気分が浮き沈みしてしまい、表現にこだわる余裕はなかった。 ノービスの大会で活躍し、中学生になってからは栄養不足に陥ったり、脚を疲労骨折したりするほどハードな練習に取り組んだ。ケガを乗り越えて進学した東北高でも、2年時に全日本ジュニア選手権出場を果たすなど結果を残した。努力は無駄にはならなかった。だが、「三浦向日葵のスケート」は見つからないままだった。 高校3年の最後に臨んだ全国高校総体と冬季国体の結果が振るわず、大学進学前は一時的に競技を離れた。その期間もリンクには足を運んでいたが、目的は練習ではなく友人らに会うこと。三浦は気分転換で滑る日々を新鮮に感じた一方、「目標を持って練習していた自分と、曖昧(あいまい)な気持ちでスケートをしている自分とのギャップ」に苦しんだ。 そんな時、アイスホッケーをしている2歳下の弟に「今辞めたら後悔すると思う。2人で国体の選手になろう」と声をかけられ、競技継続を決意。今年1月の冬季国体で弟との約束を果たすまで、スケートに打ち込んだ。