【ソフトバンク】和田毅、登板前後に「39度の熱」引退試合固辞の理由は「査定」引退会見ほぼ全文<3>
ソフトバンクの和田毅投手(43)が5日、今季限りでの現役引退を発表した。引退試合を固辞した理由を、ジョークを交えながら和やかに話した。以降は会見のほぼ全文。 ◇ ◇ ◇ ―晴れやかな表情 「本当ですか。急きょ決まったわけでもないし、5年間くらい(引退すると)思いながらやっていたので。そういう気持ち、晴れやかというか、振り切り過ぎるくらいやれたので」 ―肉体的なバランスが変わったのは今年か 「そうですね」 ―はっきりしたものか 「徐々に徐々にですね。今年の1月の自主トレでふくらはぎの肉離れをやったりとか。調子が上がらずに、監督にホーム開幕戦を指名していただいたにもかかわらず投げられなかったりとか。指のマメだったりとか。(1軍に)戻ってきても6月の横浜(DeNA)戦で投げた前日も翌日も39度の熱が出たので、実は。今までじゃありえない、登板前日に39度も熱出ないんですけど、風邪を引いたんでしょうね、多分。体調管理も、体がうまく機能しなくなったりとか、そういうのがいろいろあって。そこから(左)膝もおかしくなったり、ぎっくり腰みたいになって、もう歩けなくなったりとか。それでもう、どんどん自分の中でバランスっていうか。『選手としての役割っていうのを終える年なんだな』っていうのを感じるようになって」 「来年も気持ちとしては選手としてやれたかもしれない。(一方で)また違う新たな形でホークスや野球界に貢献していく…勉強していくという気持ちもずっとあった。それがどんどんそっち(後者)の方が比率が高くなって。完全にこっち(後者)だなと思ったのは7月ぐらい。なんとか治したいなとは思ってはいたんですけど、治らずにさっき話した通り9月。そういう流れですね」 ―来季の現役続投を確約されていた中での決断 「球団から、そういうふうに(来季も戦力だと)言っていただきました。(引退を告げた時は)びっくりされていました」 ―1年先延ばしせずに決断 「来年でも、どうせ、こういう日は必ず来る。自分の中で(違う形で勉強したいという)比率が増えていった。だったら1年でも早くそっちにシフトしていきたいなというのが強くなったので」 ―2年前に自己最速の149キロ。辞めようとしている投手が進化していた 「逆にそういう思いを持っていたからこそ進化できたのかなと思います。一日一日をそういう気持ちでやっていた。(それでも)壊れたら終わりだと思ってやってました」 ―何を勉強するか 「野球もそう。野球以外のこともそう。今後また野球界、そしてホークスに戻って来られた時のために、野球以外の引き出しを増やせられるようにやっていけたら。まだぼんやりですけど」 ―大学に通う? 「そこまでは考えていません。ようやく、そういう(次の進路の)話をいろんな方に相談できる日がこれからできると思う。まずはゆっくりさせてもらいたい。本当もう22年間、野球を考えなかったことはなかったですし。これからは少しは考えなくてもいい時間が増えるのかな。少し休みながら、ぼんやり少しずつ考えていきたいと思います」 ―この年齢まで現役。オフの激しいトレーニングのおかげか 「間違いなくあると思いますね。練習っていうのは、やった分だけ…自分に全てが跳ね返ってくるとは思ってないですけど…やらないと跳ね返ってこないので。やった分だけ自分の小さな自信が大きな自信に変わっていくのが練習だと思ってます」 ―引退試合を固辞した 。 「22年間、真剣勝負をやってきたっていう自負は持っている。やっぱり引退試合となると、どうしても野手の方が三振してくれたりとかがあると思う。僕のプライド的には真剣勝負の22年間で奪ってきたアウトの中に、野手の方に(真剣ではない)アウトをつけさせてしまい、査定に響くこともあると思う。それで(打率が)3割にいけなかったという(可能性も)ね。2割5分から2割4分9厘になるかもしれないし。そういういろいろなことを考えたら、僕はちょっとどうしてもそれはできなかった」 「オープン戦になればね、豪快に三振してくれても、査定には響かないと思うし、三振を取っても笑って終われると思う。22年間(真剣勝負を)やらせてもらったからこそ、最後のわがままといいますか、それだけはしたくないと。それでそういう形をやっていただけるなら、3月(オープン戦)にお願いできませんかと。ファン感(でセレモニーをできないか)も言われましたけど、そこはファンに感謝する、ファンのための日であって、自分のための日ではないので、そこではしてほしくないと伝えました」
報知新聞社