“マザーキラー”と呼ばれる子宮頸がん 亡き妻からの言葉で絶望から立ち直ったバルーンアーティスト
マザーキラー。こう呼ばれている“がん”がある。「子宮頸がん」だ。 子宮頸がんは、子宮の出口である頸部近くにできるがんで、日本では毎年約1.1万人が罹患し、毎年約2900人が命を落としている。 他のがんに比べて発症年齢が低く、出産適齢期であったり、子育て時期であったりする女性が罹患することが多いことから、マザーキラーと呼ばれているのだ。 【動画】亡くなった妻への思いを語るタロウさん
最愛の妻を子宮頸がんで亡くしたバルーンアーティスト
4月上旬、千葉県の袖ヶ浦公園では、桜祭りが開かれていた。満開の桜の中、子どもたちの手にはユニコーンやキリンなど色とりどりのバルーンアートが。このバルーンアートを作っているのは、千葉県のバルーンアーティスト・海賊タロウさん(48)。「みんなが笑顔になれるように」とバルーンアートを様々なイベントで披露している。 “笑顔を届けよう”とタロウさんがバルーンアーティストとして活動を始めたのは、10年前に最愛の妻・ヤスコさんを子宮頸がんで亡くしたことがきっかけだった。自分の経験が役に立てばとの思いから、今回我々の取材に応じてくれた。
いきなり突き付けられた“余命半年”
当時、タロウさんは洋菓子店で働いていて、ヤスコさんはタロウさんの手伝いをしていた。仕事で忙しい日々を送っていた二人。 2012年の秋、ある日ヤスコさんが「生理が重い。背中が痛い」と訴えた。ただ、もともとヤスコさんは生理が重かったため、いつものことだと2人は思った。ただ、2か月が経っても症状は変わらなかった。 その後、半年が経ち、やはりおかしいと思い病院に行ったが、そこで子宮頸がんのステージ4Bの末期であること、余命は半年であると告げられた。あまりにも突然の宣告だった。二人ともすぐには現実とは受け入れられなかった。 ただ、病院の外に咲く桜を見て、「また来年も見れるかな」ヤスコさんは言った。ヤスコさんが38歳のことだった。
亡くなる直前に起こった“奇跡”
そこから、放射線治療と抗がん剤治療が始まった。体中に激しい痛みがおそい、そこにだるさにも加わり、ヤスコさんはみるみるうちに痩せていった。そして副作用で髪が抜けたとき、ヤスコさんは「私はがんなんだ」と改めて認識したという。タロウさんは苦しむヤスコさんにいつも寄り添ったが、何もできない自分が悔しかった。 それでも懸命の治療のおかげで、一時、検査からがんが消えたという。「がんは治ったんだ」と二人は喜び合った。ヤスコさんは自転車に乗って買い物ができるまで回復した。 しかし、喜びは長くは続かなかった。3か月後の検査で、再びがんが見つかったのだ。その後、がんは肺にも転移した。医師からは「肺に転移したら進行は早い」と聞いていたが、その通り進行は早かった。思い出を作るために大好きなディズニーランドにも行ったが、歩くことができなくなっていて、車いすで移動することになった。それでも二人は残された時間を大切に過ごした。 その後、がんは脳にも転移した。すると、次第に字を認識することができなくなり、スマホも使えなくなり、そして、ついには意識が戻らなくなった。医師からは、すでに「いつ何があってもおかしくない」と告げられていた。 意識が戻らない状態が続いていたとき、奇跡が起きた。一時的にヤスコさんの意識が戻ったのだ。ヤスコさんはうまく話をすることはできなかったが、タロウさんはその様子を必死に目に焼き付けた。「ヤスコのどんな些細なことも逃したくなかった」とタロウさんは話す。 その後、タロウさんは片時もヤスコさんのそばを離れなかった。寝ることなく、ずっとヤスコさんの手を握って「あの時、こんなことがあったね」と二人の思い出話をヤスコさんに話していた。もう一度目を覚ましてくれると信じて。 しかし願いは叶わず、2014年12月14日18時36分、ヤスコさんは41歳の誕生日に天国へと旅立った。