「母になって後悔してる」を考える。〈後編〉「悔やむのは子どもを産んだことでなく、この社会で母になったこと」
母親になる・ならないという選択
柏木: 依田さんご自身も、母親が「子どもを産まなければよかった」と言ったことを覚えているそうですね。 依田: 母は、大学を卒業して国家資格も取得しましたが、出産を機に仕事を辞めて、3人の子育てや家事にすべての時間をあてていました。私には、母がいつも疲れているように見えました。そして、高校生の時に、口論の末、母から「後悔」の言葉を聞きました。 その時は、自分の存在を全否定されたような気がしましたが、その一方で、妙に納得もしました。母は、社会で活躍できたかもしれないのに、私も含めた家族は、「聖母像」のようなものを求め続けていたようにも思えて。家の中はきれいにしていてほしい、もっと優しいお母さんでいてほしい……などと、母への要求に限りがありませんでした。当時は、そんな母を見て、「自分は母親になんかなりたくない」と思っていました。 柏木:それでも、依田さんご自身は、このテーマの取材中に母親になることを選びました。どんな心境の変化があったのでしょうか? 依田: 母親とは自己犠牲を続けていくものだと思い、「私は自分らしく生きたい(だから子どもはいらない)」と日記に書いたこともありました。でも、ドーナト氏の著書を読んで、母の後悔は、母親という役割の重さに対するもので、子どもを産んだことではないことにようやく気づきました。それに、取材した方々が、苦しみながらも、それぞれ自分らしい道を模索し、見つけていることにも励まされました。私も、母親の役割から抜け出すように努力しながら、母になることができるかもしれないと思えたんです。 今、子育てをしていると、そのことが口で言うほど簡単ではないと実感していますが、母親になったことは、いろいろな学びにつながっています。 柏木: ご自身の人生と取材した方々の思いが、まさにシンクロしていますね。母親の後悔を子どもが知ることについては、どのように思いますか? 依田: 「後悔を子どもに伝えるべき」とは必ずしも思いませんが、もし伝える場合は、子どもとしっかりと対話していくことが大事だと感じます。私自身は、息子の年齢を見極めて、母親の後悔を語る本を出したことへの思いや、母親の役割の重さについて、ちゃんと向き合って話していきたいです。息子はまだ小さいですが、いつかこの本を読んでもらえたら嬉しいです。 柏木: 子どもたちが従来の母親像を持ったまま育つのと、母親に求められる役割の重さに気づいて生きていくのとでは、やがて違う世の中になっていくかもしれませんね。髙橋さんは、パートナーとお二人での生活を維持することを選択したそうですね。 髙橋: 今の社会の状況では、少なくとも私は子どもを産むと、自分がどんなに頑張ってもどうにもならないことが増えるように感じました。仕事だけをバリバリしたいわけではないけれども、育児と自分の生活を両方パツパツにするまで頑張ることが自分の望んでいることではないので、子どものいない生き方を選んでいます。取材した方々から、「母親になって幸せ」という素敵なストーリーだけではない、まっすぐで真摯な言葉を聞けたのは、母になることを考える上でありがたいことでした。