津波で妹を失った女性が映画で訴える過去との離別…「風化はしない、あったことはあったことだから」
「映画作りにかかわりたい」――。宮城・石巻で中学1年だった佐藤そのみさんは15年後、映画監督になっていた。その間、東日本大震災があり、津波で大川小6年だった妹のみずほさんを亡くしている。当時は口にできなかった様々な感情を形にした映画が東京都内で上映中だ。28歳になった彼女は、自分と同じく“震災”に捕らわれ続ける人たちに映像を通して心の解放を呼びかける。(文化部 大木隆士) 【写真】旧大川小でも行われた「春をかさねて」の撮影
映画作りを夢見た少女との出会い
佐藤さんに最初に会ったのは、震災前の2009年だった。「時のひと」を紹介する宮城県版のコーナーで、「12歳の文学賞」で入選した佐藤さんに話を聞くため、宮城県石巻市の自宅を訪れた。その時は中学1年生になっていた。
受賞作は「キノコの呪い」。ある日学校に行くと、机の下にキノコが生えていた。切っても切っても増えてきて……。オカルト風な話だが、作者の佐藤さんはおとなしい少女だった。人見知りなのか、取材にも口が重い。ただ、落ち着いて寡黙な様子からは才気を感じた。
大川小4年でマンガクラブを結成し、6年では文芸係として、詩や俳句、小説を募り、冊子にまとめた。休みの日には父親のお古のデジタルカメラを持って周囲の山を巡り、写真や動画を撮ってもいた。夢は映画作り。お弁当運びとか掃除とか「下働きでも何でも、映画に関わる仕事をしたいんです」、まっすぐな視線で話していた。どんな大人になるだろうと、期待したのを覚えている。
「一度正面から向き合わないと抜け出せない」
それから2年たち、東日本大震災が起きた。大川小では、児童74人、教職員10人が津波の犠牲になり、妹のみずほさんもその一人だった。悲しみの中、佐藤さんは同小を震災遺構にするための活動に加わりもした。それでも映画作りの夢は変わらず、日大芸術学部映画学科に進学した。
10分の短編ドキュメンタリーを作る課題で、石巻の様子や被災者の活動を撮ると教師に褒められた。すると、「いいよね」という同級生の声が耳に入ってきた。「そのみさんはそういうテーマがあって、『ずるい』と思っちゃった」