「百貨店が担う役割考え続ける」大丸神戸店店長の松原さん…阪神大震災30年へ
「大丸神戸店」(神戸市中央区)の松原亜希子店長(58)は入社7年目に阪神大震災に遭った。壊滅的な被害からの立て直しに奔走するなか、営業再開に涙する顧客や従業員の姿に接した。百貨店が地域とつながり、困難な局面でも日常を彩り、潤いを与える役割を果たすにはどうあるべきなのか、模索を続けている。
神戸大丸で出会った両親のもと、神戸で生まれ育ち、入社後の配属も神戸に決まった。2年目からは、百貨店周辺エリアでの店舗開発などにも携わる充実した毎日。あの日は長期休暇中で、神戸市西区の自宅にいたが、幸い、大きな被害はなかった。
「会社からは自宅待機の連絡があり、自宅が住める状態だったので、断水している地域の人や友人を招いてお風呂を使ってもらった。2週間ほどして出勤することになったが、地下鉄は途中までしか運行しておらず、店まで1時間半ほど、歩いて通勤した。当時は同じような人も多く、元町商店街は相当な人通り。寒い時期で、店先ではホットワインを売っていた」
1月の半ばはセールの終了時期。購入済み商品がたくさんあり、全てをリスト化した。「家が燃えて着るものがない」と、商品を引き取りたいという電話が寄せられるようになっていた。連絡がない顧客には、リュックサックに商品を詰めて自宅まで届ける部隊、電話をする部隊がそれぞれ対応した。
「当時の社長は、神戸店は街に育ててもらっているお店であり『神戸の灯は消さない。全社で神戸を支える』と。応援に行った新長田店の周りはまるで焼け野原で、数週間たったのにまだ地面が熱かった。ある日、スーツを購入されたお客様の自宅に電話すると、親御さんが出て、購入した息子さんは震災で亡くなったと。親御さんも被災者で、現金に困っている。本来なら、裾上げなどの修理済み商品は再販できず、返金はできない。それでも、取引先に『大丸も半分持つので損切りしてもらえないか』と掛け合い、返金に応じてもらった。大事にしてもらってきたお客様にきちんと向き合おうと必死だった」