「百貨店が担う役割考え続ける」大丸神戸店店長の松原さん…阪神大震災30年へ
神戸大丸は震災から約3か月後、4月8日の土曜日、営業を再開した。売り場は3分の1ほど。新聞広告には「売場は小さくなりましたが、気持ちはもとの大丸です」と記した。
「休業中には『あの売り場にいた人は無事ですか』という安否を尋ねる電話やファクスが山のように届いた。お客様と店とのつながりの深さに驚いた。店長は従業員に『私たち百貨店がするのはセールではなく、顧客に寄り添うことだ』と。開店の日、従業員とお客様が涙を流しながら抱き合って喜び合う姿があった。被災者にとって大丸の営業再開は、元の生活に戻る象徴だったんだと痛感した」
百貨店周辺に誘致した店舗も、撤退や縮小を迫られる事例が多かった。
「オープン2か月ほどだったビル1階の衣料品店は上層階が崩れて店ごと潰れてしまった。撤退するか、同じ場所で営業を続けるか、移転するか……。店ごとに事情は異なるが、とにかく前に進むしかなかった。店を再開した時、どんなサービスを提供すれば、お客様とより深い関係性を作っていけるのか。そう考えるのに懸命だった」
復興に向けて走り回る毎日は「百貨店は地域や顧客にどんな価値を提供していけるのか」を見つめ直す契機だった。この経験は、コロナ禍で人流が途絶えるという前例のない難局に直面した東京店の店長時代に生きた。
「東京駅直結で、1日10万人を超えていた来店客が2万人に届かない。みんなが下を向いて仕事をしていた。『必ず人は戻ってくる。この店の価値は何か。どうすればお客様に喜んでもらえるかを考えて仕事をしよう』と呼びかけた。誰も経験したことのないことに対し、考え抜いて正しいかどうかが分からなくても、続けていれば一つ、二つと成功例が出てくる。震災を経験したからこそ、困難に立ち向かっていけた」
昨年、8年ぶりに神戸店に戻り、店長に就いた。従業員の多くは、震災後に入社した世代。
「店長は開店時、入り口でお客様を迎える。神戸店では『この商品はどこの売り場にありますか』と聞かれたことが一度もない。生活の一部として存在し続けられている店なんだと実感する。あの震災を街の人たちは忘れていない。そのことを若い従業員に伝えつつ、百貨店が担う役割とは何かを一緒に考えていく。お客様のファースト・マインド・ストア(最初に思い浮かぶ店)になるための努力を続けていきたい」 (升田祥太朗)
まつばら・あきこ 1966年生まれ。兵庫県出身。88年、甲南大法学部卒、大丸(現大丸松坂屋百貨店)入社。大丸神戸店に配属され、2年目から同店周辺で大丸が所有する旧居留地開発を20年近く担当した。大丸芦屋店長や松坂屋上野店長を経て、コロナ禍では大丸東京店トップとして対応にあたった。2023年3月から現職。