選手権では2大会、全8試合にスタメン出場の堀越が誇る羅針盤。MF渡辺隼大が持ち続けた「出ていない選手の分まで戦う責任と覚悟」
[1.4 選手権準々決勝 前橋育英高 1-0 堀越高 フクアリ] どんな試合でも、紫色のユニフォームを纏って、ピッチに立ち続けてきた。ボールを動かし、相手のキーマンを潰し、仲間がプレーしやすいように、陰から支える。うまく行く時も、うまく行かない時も、チームに1本の太い軸を通すのは、いつだってこの司令塔だった。 【写真】「美しすぎ」「めっちゃ可愛い」柴崎岳の妻・真野恵里菜さんがプライベートショット披露 「こうやって2年間を通してしっかり試合に出続けられたのは、とにかく仲間の存在が大きかったですし、家族のサポートだったり、監督やコーチのおかげでもあるので、本当に感謝したいと思っています」。 堀越高(東京A)がここ2大会で戦った選手権の全8試合をピッチで経験してきた、絶対的なプレーメイカー。MF渡辺隼大(3年=三菱養和SC調布ジュニアユース出身)が身体の中に備えた羅針盤は、常にチームを正しい方向へ導いてきた。 再び国立競技場へと帰還するための最終関門。準々決勝で対峙するのは前橋育英高(群馬)。この日もスタメンリストには、当然のように渡辺の名前が書き込まれる。 「本当に小さいころから憧れていた大会で、自分も選手権で活躍している堀越を見て、『あそこに立ちたいな』とずっと思っていましたけど、まさか2回も出られるとは正直思っていなかったですね」。 全国4強まで駆け上がった昨年度の選手権でも、2年生アンカーとして定位置を確保し、準決勝までの5試合にフル出場。正確な中長距離のパスと、的確なポジショニングを生かして、中盤の底でチームを操り、堀越の躍進を下支えした。 そもそもここ2シーズンで欠場した公式戦は「たぶん片手で数えるぐらい」。選手たち主導でメンバー選考を進める“ボトムアップ方式”のチームで試合に出ているからこそ、「出ていない選手の分まで戦う責任と覚悟」を持って、目の前のピッチを駆け回ってきた。 立ち上がりからやや前橋育英に主導権を握られながらも、渡辺に焦りの色はない。ボールを握れないなら、まずは守備。相手のアタッカーたちを監視しつつ、シビアなゾーンに入ってきた選手にはタイトに寄せて、ボールを奪う。劣勢時の戦い方も、この2年でしっかりと頭に叩き込んできた。 後半に入ると、先にスコアを動かされる。ビハインドを負った展開の中で、渡辺も少しずつ高い位置を取りながら、攻撃への比重を高めていくものの、前橋育英の堅陣は揺るがない。 ファイナルスコアは0-1。2024年の堀越が続けてきた進撃は、全国のクォーターファイナルで幕を閉じる。「自分の力不足を感じましたし、自分がもっとやれればなと思いましたね」。悔しさと、不甲斐なさと、寂しさが押し寄せてくる。渡辺もあふれる涙を抑え切れなかった。 「今年も本当に順風満帆なわけではなかったですし、苦しい時も多かったですけど、そういう時こそ(竹内)利樹人やアキ(森章博)がチームを引っ張ってくれて、全国ベスト8というのは、1年間自分たちがやってきたことを信じ続けられたからこそ得られた結果だと思います。去年の結果以上のものを自分たちの代で出したかったですけど、3年間みんなとサッカーができて良かったなと思います」。 中学時代は決していつもゲームに出ているような選手ではなかった。だからこそ、勝負の懸かった痺れる舞台でボールを蹴ることの意味や価値は、そのステージが上がれば上がるほど、より痛感してきたという。 自分たちの代で、堀越の“立ち位置”を変えられたという手応えは、確かにある。それでも、まだ足りないこともよくわかった。「堀越高校の見られ方は本当に変わってきていると思います。でも、青森山田とか静岡学園とか、今日対戦した前橋育英もそうですけど、全国の常連校と肩を並べるには、普段の日常から質を求めてやっていかないとダメだと思うので、2年生は去年の経験と今年の経験がありますし、簡単ではないと思いますけど、来年はベスト8とベスト4を超えて、全国制覇してほしいです」。渡辺の想いは、3年生の想いは、後輩へと受け継がれていく。 ここからは、それぞれが新しい道を歩いていく。大学でもサッカーを続けるからには、より高いレベルへと到達するために、今まで以上の努力が必要なことも、渡辺ははっきりと理解している。 「本当の勝負はここからかなと。大学ではチームの結果も大事ですけど、個人としてどれだけできるか、どうやってプロへの道に近づけるかだと思うので、もちろんうまく行くことばかりではないと思いますけど、苦しい時こそ、この高校で3年間やってきたことを忘れずに、日々努力し続けたいですし、自分がプロサッカー選手になることで、堀越高校の価値をもっともっと上げられるように、これからも努力していきたいと思います」。 忘れない。この仲間たちと3年間の濃厚な時間を過ごせたことを。忘れない。あんなに多くの観衆の前で自分の全力を出し尽くせたことを。堀越を2年間にわたってチームのど真ん中で支えてきた、不動のプレーメイカー。渡辺隼大は得難い数々の経験を胸に、今度はプロサッカー選手になるための扉を、1つずつ、1つずつ、丁寧にこじ開けていく。 (取材・文 土屋雅史)