脱ぐことで批判されてきたデミ・ムーアが、「61歳ヌード」で今度は称賛を受けた深い意味
実は、ムーアにとって初めての仕事は、日本に向けたヌード写真の撮影だ。高校を中退し、依存症で毒親の母と離れて暮らしていたムーアは、「アメリカ人の目に留まることはないから」と言われて、その仕事を受けることにした。そこからモデルへの道が開け、女優業につながっていった。つまり10代のときから彼女はカメラの前で脱いできたのである。 ■美しい体を維持することにプレッシャー その裏で、美しい体でいなければならないというプレッシャーは、彼女を精神的にも、肉体的にも苦しめていた。苦悩の始まりは、セックスシーンのある『きのうの夜は…』(1986)への出演。
エドワード・ズウィック監督に、「君を雇いたいけれども、痩せると約束してくれるか」と言われたのだ。そこから摂食障害を抱えるようになり、自分の体重、サイズ、外見でしか自分の価値を判断できなくなったと、ムーアは回顧録で告白している。 逆に、『幸福の条件』のエイドリアン・ライン監督からは、痩せすぎだと文句を言われた。女性らしいソフトな体を望んでいたラインは太るように命じたのだが、絶対に嫌なムーアは断固として拒否。結局ラインが折れた。
影響は、自分だけでなく赤ちゃんにも出ている。次女の出産直後に『ア・フュー・グッドメン』(1992)の撮影が始まるため、ムーアは妊娠中も体型を保とうと、パーソナルトレーナーを住み込みで雇ってワークアウトを続けた。そんな中で生まれた次女は、生後、なぜかなかなか成長せず、ムーアを不安にさせる。過剰なワークアウトのよって母乳に変化が生じたせいだと理解すると、母として心を痛めたが、それでも激しい運動をやめることはできなかった。
執着からついに解き放たれたのは、『G.I.ジェーン』の撮影が終わった時。女性将校を演じるこの映画のために、ムーアは筋肉をたっぷりつけ、体重62キロのたくましい体になった。ひとつ前の映画は『素顔のままで』だったので、立て続けに極端に違う体を作ったのだ。 今度はまたほっそりした体になるような食事やワークアウトプログラムを始めるべきなのだろうが、ムーアはすっかり疲れていた。 またお腹の空いた日々を送るのも、どれだけ痩せたかで自分を評価するのも嫌だと思ったムーアは、ダイエットも激しいワークアウトもやめて、自然に任せようと決意。炭水化物は控えめにする、ゆっくりと少量ずつ食べるなど、もちろん意識はするが、無理はしない。それは、彼女にとって斬新なことだった。
■自然体でいられるように そんなふうに自然な形で自分の体と向き合うようになって、27年。久々にカメラの前で裸になるにあたり、特別に準備をしたのかどうかはわからない。だが、それはどちらでもよい。 『The Substance』のムーアは、強烈な問題提起をする。このヌードには意味があり、女性たちは共感する。嬉しいことに、この映画は日本の配給もすでに決まっている。女優としての本領をついに発揮したデミ・ムーアをビッグスクリーンで見られる日を、今から楽しみにしてほしい。
猿渡 由紀 :L.A.在住映画ジャーナリスト