脱ぐことで批判されてきたデミ・ムーアが、「61歳ヌード」で今度は称賛を受けた深い意味
若いバージョンの自分(マーガレット・クアリー)を見たエリザベスが感動するシーンで、観客は納得できなければならないのだ。ムーアのヌードはこの映画のために必要なもの。それをムーアは文字通り体当たりでこなしたのである。 ■過去に脱いだときは批判を受けた ムーアは、若い頃にも何度かヌードになってきた。だが、その頃と今回は違う。過去に彼女が脱いだとき、世間の評判はあまり優しくなかった。 たとえば、ストリッパーのシングルマザーを演じた『素顔のままで』(1996)には、わざわざこんな役をやりたがるなんて、自慢の体を見せびらかしたいのかなどという声が出たものだ。
この映画で、1200万ドルという当時の女優としては破格のギャラをもらったのも、よい印象を与えていない。当時の夫ブルース・ウィリスをはじめとする人気男優たちはもっと高いギャラをもらっても責められないのに、ムーアは「Gimme Moore」(give me moreにひっかけている)などという意地悪なニックネームで呼ばれることになってしまった。もちろんそれは明らかな女性差別である。 セックスシーンのある『幸福の条件』(1993)も、妻と一夜を共にさせてくれるなら100万ドルをあげるという大富豪の申し入れを受け入れる夫婦という筋書きに反感を覚えた人は少なくなく、興行面ではよかったが、批評家の受けは散々。こんな映画のために脱ぐとはチープだととらえられた。
妊娠中のムーアが大きなお腹でヌードになった「Vanity Fair」の表紙も、大きな論議を呼んだ。妊娠中の体を自然で美しいものとしてとらえたこの写真は、フェミニストから絶賛される一方、保守派からは強く批判されたのだ。 出版社は、不快だと思う人に留意し、首から下を隠すよう白いカバーをかけたのだが、それでもまだこの雑誌を店頭に置くのを拒否する店があった。お高くとまっているやりづらい人のような書かれ方をした中面のインタビュー記事も、ムーアにとっては助けになっていない。