「えっ・・・部員3人?」廃部寸前の吹奏楽部が見事復活!全国大会出場へ「より音楽的で尖った演奏をしよう!」広島桜が丘高校・吹奏楽部物語
金山教諭が顧問に就任してまもなく、新1年生数人が音楽室へ見学に訪れた。正式な入部届をもらう前から、それぞれ別の楽器を割り当て、マンツーマン練習を開始。 「コロナに負けず吹奏楽をあきらめなかった3年生たちと一緒に、コンクール出場を果たしたい」 そんな思いが通じたのか、1年生6人が入部した、その矢先だった。7月後半のコンクール直前、校内で新型コロナに感染した生徒が出てしまった。自由曲を、一曲通しでなんとか演奏できるまでになっていたが、その努力はすべて泡と消えてしまった。すべての部活動が休止となり、新生・広島桜が丘高校吹奏楽部の初ステージは「出場辞退」。とてもやりきれない結果となった。 ■「3年生の思いを胸に!」2年目の急成長 3年生の夢がはかなく散ったのを目の当たりにした1年生たち。入部したてのころは、音符の長さや音の高低がわからないため、楽譜も満足に読めない初心者ばかりだった。それでも、先輩たちの思いを胸に、練習に励んだ。 金山純也教諭 「猛練習をした覚えは、特にありません。信じてもらえないかもしれませんが。吹奏楽未経験でも無理なく続けられるように活動スケジュールを工夫しました。土曜日は半日練習、日曜日は休みが基本で、平日も休養日を作ってきました。私が指揮して指導するというより、生徒たちと一緒になってサックスやトランペットを吹く。明るく笑いのたえない練習風景が日常でした」 金山教諭は、大人が一緒になって心の底から楽しむ姿を見せること、そして、子どもたちの目に見えない力(=非認知能力)をのばすことが、成長の鍵になるという信念をもっている。 部訓に掲げたのは「やればできる」。実家のある愛媛県松山市の済美高校野球部が、2004年、創部わずか3年目で甲子園初出場初優勝を成し遂げたとき、クローズアップされた校訓だ。4番・鵜久森淳志(日本ハム-ヤクルト)やエース福井優也(早大-広島)が激闘を演じる中、当時大学生だった金山教諭は、仲間とともにアルプススタンドへ応援に駆けつけた。済美高校の卒業生ではなかったが、郷土の球児たちに触発され、懸命にラッパを鳴らしていたという。このとき味わった強烈なインパクトと猛烈な感動が、今に通じる原動力だ。