産休の時、PUFFYをやめようかと思った――「移動はいつも隣の席」亜美と由美が歩んだ四半世紀
PUFFYの音楽活動になくてはならない存在が、奥田民生だ。奥田は2人に60~70年代の洋楽ポップスのフレーバーをたっぷり加えた作品を提供。当時全盛だった小室サウンドの真逆をいく、生音にこだわったアナログレコーディングで味わいを出した。2人は当時のレコーディングを「スパルタだった」と振り返る。 吉村「民生さんが作ってくれたデモテープを聴きながら覚えていくんですが、『なぜ俺と同じようにできないんだ』って怒られて(笑)」 大貫「いつも2人で『せーの』で録るから、どっちかが転んだらもう1回。『愛のしるし』が一番短くて3時間、『たららん』は10時間くらい歌ったよね。他の方にプロデュースしてもらった時、『えっ、もう終わりでいいんですか?』って思った」 吉村「失敗したら、『ごめーん!』って言いながらね。自然とお互いが合わせようとしていた。2人で歌うための歌い方が、何となく定着していきました」
「お互いに主導権を譲る」という2人は、歌でもぶつかり合わない。草野マサムネや椎名林檎、斉藤和義など、さまざまなアーティストに曲を書いてもらう時も相手に委ねる。 大貫「『私たちがどうしたい』じゃなくて、『あなた色に染めてください』というスタイル。 『あなたらしさを存分に出して、PUFFYにこう歌わせたいというものを作っていただけると幸せです』って」 多彩な色に染まりながらも、PUFFYの音楽はポジティブな魅力を失うことがない。 大貫「何か伝えたいことがあるわけではないんです。PUFFYがポップな存在として世に出ているということを客観視すると、これを崩してはいけないと思いました。だから例えば、『実はこういう苦労があって』とか、できるだけ言わない。私たちの美学とまではいわないけれど、自然とそういう方向になっています」 吉村「暗いことを聞いてもらうより、楽しい気分になってもらいたい。そういう何となくのルールはあるけど、そういえば特に話し合ったことはないね。25年目にして、PUFFYとはこうあるべきだっていうのを決めようか(笑)」
--- PUFFY(パフィー) 1995年に結成し、96年デビュー。「アジアの純真」「これが私の生きる道」「サーキットの娘」「渚にまつわるエトセトラ」で立て続けにミリオンヒットを記録。97年、バラエティー番組『PAPAPAPA PUFFY』が放送開始。2002年からアメリカツアーを行う。9月22日、アルバム『THE PUFFY』が発売。 ヘアメイク:中山友恵