産休の時、PUFFYをやめようかと思った――「移動はいつも隣の席」亜美と由美が歩んだ四半世紀
2002年にPUFFYは初めてアメリカツアーを行った。大貫の出産はその翌年。以降、ツアーを子連れで回った。 大貫「子どもが小さい時は由美ちゃんやスタッフみんなに協力してもらって、申し訳ないと思っていた。娘が大きくなるにつれて、現場で役に立つように鍛えました。働いているお母さんはみんなそうだと思いますが、とにかく時間のやりくりが大変でしたね。でも『みんなこうやってるんだろうな』と思うと、自分も励まされた」 吉村「今思うと、亜美ちゃんはすごく忙しい時期だったのに、なんで休みたいとか、もっと仕事を減らしてほしいって言わなかったんだろうって。当時は自分のことで手いっぱいで、子どもを持つ親の気持ちとか、子育ての大変さを分かっていませんでした。私の時はスタッフにも子どもがいて、働く母親の気持ちを分かってもらえる時代になっていたので、それに合わせたスケジュール管理をしてくれた。授業参観があっても『仕事のほうが大事でしょ』って言われていた時代と、その大切さを分かってもらえる時代。環境の差は大きいと思います」 子どもを産んだ時期には9年の違いがあり、環境は変化した。 吉村「亜美ちゃんに子育ての相談はそんなにしないですね。男の子と女の子の差もあるし、年齢も9歳違うので、時代が違うんです(笑)。抱っこひもの種類も違うから」 大貫「全然参考にならないんですよ。古くてごめんとか言って(笑)」
過酷なアメリカツアーで自信がついた
PUFFYの転機は、アメリカでの活動だと口をそろえる。デビューからしばらくは「素人」で、ライブを楽しめなかったという。 吉村「デビューして、そこから後が大変だった。一生懸命歌うけど、まあ下手ですし。踊れるわけもなく、人前に出てももじもじしちゃう」 それを変えてくれたのがアメリカツアーだった。 アメリカのカートゥーンネットワークのアニメ『Teen Titans』のテーマ曲を歌ったことをきっかけに、2004年、PUFFYをモデルにしたアニメ番組『HiHi PUFFY AmiYumi』が始まった。110カ国以上で放送され、世界各地でポップアイコンとして人気を集める。これまでに6度のアメリカツアーを行ってきた。 吉村「アニメが始まる前は、誰も私たちを知らない。前売りチケットが19枚しか売れないこともあった。音響などの環境も悪くて、今までいかに恵まれていたのかを痛感しました。いろいろと過酷な現場を経験して、自信がついた。その後、日本でやったライブが一番生き生きしていたと思います」 大貫「日本だとバラエティー番組に出させてもらっていたこともあり、2人のキャラクターのほうが前に出て、楽曲本来のよさが届きにくいとも感じていました。でもアメリカでは、どっちが亜美でどっちが由美かも分からない。純粋に楽曲を聴いて盛り上がってくれるのが嬉しかった」