「恵方巻」に押されて存在感が薄いバレンタインデー。今後、2月14日はどんな風物詩として日本に存在していくのか
◆それぞれの下心 その他のバレンタイン下心を並べてみよう。 例えば私。パートナーがいたら、新宿の伊勢丹に出向いて、普段では絶対買わない高級チョコレートを買って渡す。ただし、開封は我が家でのみとしている。ここには買った自分こそ食べたいという下心がある。彼のためというよりは、自分の好みと相談して、酒に合いそうな、ほろ苦チョコを選ぶイベントだ。 以前、飲み屋でよく会っていた、30代の自称・港区淑女。勤務している会社が外資系のため、よく海外出張があるという。ただこの出張、多くの社員が参加できるわけではなく、能力査定、及び上司のゴマ擦りも参加率に影響してくるという。要は社員としてのステイタスなのだ。 「バレンタイン? ウチの会社は禁止でもなく、女性社員の強制参加はなくなったんだよね。だからみんな渡さないという程(てい)になっているけど、それは表面上の話」 「じゃあ、ひとりで用意して渡すの? それも大変じゃない?」 「ううん、海外出張に選んでくれそうな上司を選んで、こっそり『いつもありがとうございます。差し上げるのは××さんだけですから、内緒ですよ』って渡すかなあ」 ふと「……それって、キャバ嬢のチョコ撒きと同じでは……」と言いたくなる気持ちを抑えた。これも下心だ。チョコひとつで海外出張に行けるのなら、彼女にとっては安い出費。まだまだチョコレートは、経済を回す力があるのだと、数々の下心から感じる。参加したい人はすればいい、そんな日でいいと思う。ただもしこのエッセイを読んでいる人に、社内や部内のバレンタイン費用徴収係がいたら、今年はぜひ見直してあげてほしい。冒頭でも書いたように、納得のいかないまま金を支払うのは、無駄なストレスだから。
◆日本の2月は恵方巻き ここ数年の2月といえば、バレンタインデーよりも恵方巻きのほうが圧倒的に存在感を増してきた。元々は関西の風習が、縁起物だと関東へ流れてきたらしい。日本人は愛や感謝をチョコレートで表すことに金を使うよりも、ご利益を優先したと思うと納得だ。 余談だけど、この文化を流行らせたのは、ダウンタウンの浜田雅功こと、浜ちゃんの妻・小川菜摘だと思っている。彼女が1996年の上梓したエッセイ『おかえりっ!―浜田雅功ファミリーのできるまで』で、恵方巻きのことを夫から教えられたと書いていた記憶がある。おそらくこのことは様々なバラエティー番組で話しているだろうし、この後、2000年くらいからデパ地下に恵方巻きが並んでいた。南野陽子が話していたという一説もあるが、私は小川菜摘の影響力に一票を投じる。 確かに恵方巻きであれば、一食分はこれでメニューを考えなくてもいい。大量の炭水化物を摂取しているけれど、縁起物となれば罪悪感は減る。そんなことを考えながら、昨年の2月3日にデパ地下を歩いていると、面白い売り場を見つけてしまった。 「バレンタインと恵方巻きを兼ねていかがですか?」 という触れ込みで、洋菓子店がチョコロールケーキを4000円で売っていた。恵方を向いてひとりで食べたら、確実に胸焼けが保証されているフルサイズ。「ガワが黒いだけやんか!」と、心の中で総ツッコミをしてしまった。これも商売根性がひしひしと伝わる、完全なる下心である。
小林久乃