被爆者と面会した「原爆の父」オッペンハイマー、滂沱の涙で「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
原子爆弾の開発を主導し、「原爆の父」と呼ばれた物理学者のロバート・オッペンハイマー(1904~67年)が1964年に被爆者2人と面会した時の様子を、通訳として同席した女性が証言する映像が見つかった。オッペンハイマーは涙を流し、謝罪の言葉を繰り返したという。
証言したのは、被爆者らが世界を回った「広島・長崎世界平和巡礼」に同行した通訳のタイヒラー曜子さん(2019年に75歳で死去)。巡礼団が64年に米国を訪問した際、広島の被爆者で理論物理学者の庄野直美さん(12年に86歳で死去)ら被爆者2人が、オッペンハイマーの研究室で面会した。
タイヒラーさんは映像の中で、オッペンハイマーの様子について「『ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい』と謝るばかり」とし、「涙、滂沱(ぼうだ)たる状態」だったと証言した。
巡礼団は原爆投下を命じたトルーマン元大統領とも面会し、タイヒラーさんも同席していた。トルーマンはその場で「原爆投下が戦争終結に必要だった」との従来の考えを示した。タイヒラーさんは「トルーマンの言葉とオッペンハイマーの言葉の対比が、私にとって重要な経験だった」と振り返った。
映像は、巡礼と関わりのあるNPO法人ワールド・フレンドシップ・センター(WFC、広島市)が2015年に撮影。今年は巡礼から60年にあたり、資料の整理中に見つかった。巡礼前にオッペンハイマーに送っていた面会希望の手紙や、旅程などから実際に対面したと確認したという。
オッペンハイマーは1960年に来日したが、被爆地は訪れなかったとされる。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の箕牧(みまき)智之さん(82)は「オッペンハイマーが謝罪していたとの話は聞いたことがなく、貴重な証言映像だと感じた。被爆80年に向け、世界にも核の脅威を再認識してほしい」と話した。