「オファー来れば五輪で踊る」。SNSで盛り上がる“マツケンサンバ待望論”に松平健がいま思うこと
劇団に所属して4年目に、スクリーンの大スター・勝新太郎と出会う。脚本家経由で「勝に会わないか」と誘われ、京都の撮影所へ飛んで行った。激情型の勝と、内に情熱を秘めるタイプの松平。駆け出し俳優のどこを、勝は気に入ったのか? 「野心や希望が悶々と私の目から出ていたんじゃないかな? あとから『目がいい』とおっしゃっていたと聞きました。一度、勝先生に『目が死んでいる』と言われたことがあって。結婚して精神的に落ち着いたのを、芝居を通じて見抜かれてしまった。自覚があった分、グサッときましたね」 撮影後には生バンドと歌手がいるナイトクラブへよく連れて行ってもらった。 「突然、勝先生はステージに上がって歌いはじめるんです。すると会場全体が『わぁぁぁ!』と一気に盛り上がる。突拍子もないことをやって人を楽しませる背中を何度も見てきました」 勝のそんなエピソードは、『マツケンサンバII』でファンを魅了する松平の姿にもどこか重なる。 師が監督を務めるテレビ時代劇『座頭市物語』出演を経てドラマ『人間の條件』の主演をつかんだが、その後仕事がパタリと途絶えてしまったという。 「大物女優さんの相手役や、元いた劇団の舞台に出ないかとたまに声がかかりましたけど、勝先生は『主役しかやるな』とおっしゃった。『芝居に出たいなら出てもいいけど、前の生活に戻るぞ』と」
いま、上様が成敗したい奴らとは?
『暴れん坊将軍』の上様こと徳川吉宗役を射止めたのは、そんな勝の教えを守り続けて約1年後のことだった。当時、新人が主役に抜てきされるのは異例のこと。 「当初は別の方が演じる予定だったと聞きました。うわさでは3カ月くらいで番組は終わるだろうなんて言われて、なにくそと燃えましたね。当時同じ東映の撮影所の中でも映画とテレビには格差があって、私を含むテレビのスタッフはちょっと馬鹿にされることもあったんです」 ドラマは1978年から2003年まで放送されるご長寿番組に。政治とカネをめぐるリクルート事件や登校拒否問題など時事問題に触発された話もあり、“神回”として語り継がれている。 「惑星が地球にぶつかるなんて回もありましたね。あとは当時の大臣ひとりひとりに似せたバーコード風のカツラをつくってみたり、社会風刺が効いていました」 もし現代に『暴れん坊将軍』が復活するとしたら、どんな皮肉をまぶしたユニークなキャラが登場するだろう? そう問うと「菅さんでしょうかね。ふふふ」とイタズラっぽく笑う。 『暴れん坊将軍』の放送は全832回、吉宗公に倒された人数はのべ2万9000人。ズバリ、いま松平健がもっとも“成敗”したい奴らとは? 「コロナですね!」 上様は、即答だった。