「オファー来れば五輪で踊る」。SNSで盛り上がる“マツケンサンバ待望論”に松平健がいま思うこと
夜中にあの歌を聞くと目が覚める
『マツケンサンバII』は2004年から2006年まで大ブームとなった。東京ドームでワンマン・コンサートも開催し、2004の年末は『日本レコード大賞』や『NHK紅白歌合戦』でひっぱりだこに。 「ブレイクのきっかけは、受験生でした。名古屋のFMで曲を流してもらったらすごく反響があったそうなんです。『夜中にあの歌を聞くと、目が覚める』って」 二枚目俳優とのギャップに驚く人々が相次いだが、「急に変貌したわけではない」。以前から自身の舞台公演の際は、同曲を含むさまざまな歌を披露していた。 「97年にアメリカ公演が決まり、外国人にウケるようマツケンサンバの衣装も踊りも思い切り派手にすることにしたんです。『サンバといえば、リオのカーニバルだ!』とひらめいて着物用に金色の生地を自分で買いに行きました。やっぱり周囲はびっくりしていましたよ。そんなキンキラな着物、見たことないって」
当初はファンも引いていた。 「まさに“あんぐり”という感じ。でも続けているうちに皆さんが一緒に踊ってくれるようになった。舞台から見ていてとても嬉しかったですね」 俳優・松平健と、歌って踊れるエンターテイナー・マツケン。振り幅は大きいが本人は気負いすることなく切り替えているようだ。 「芝居だと相手役の役者がいますが、歌の場合、相手役はお客さん。お客さんに楽しんでもらおうという気持ちを一番大切にしています。歌うことに戸惑いはなかったかって? まったくありませんでしたね」
「主役以外やるな」。師匠・勝新太郎の教え
1953年、愛知県豊橋市に生まれた松平は日活映画のスターに憧れる少年だった。石原裕次郎の主演作に感動し、なんのあてもなく上京。弟子にしてもらおうと住所を調べ、いきなり石原裕次郎の自宅の扉をたたいた。17歳だった。 本人はおらず石原プロに電話をしたところ、新人は募集していないと知り断念。新聞で見つけた俳優の養成所に入った。 「一人前になるまでは帰れないという意地がありました」 人気ドラマ『太陽にほえろ!』に犯人役で出演したり、『ウルトラマンタロウ』のオーディションでは最終選考の3人に残ったこともある。