さらば旧・関西将棋会館、藤井聡太竜王が頂点へ駆け上がるまでのセピア色の記憶…大山康晴十五世名人らの掛け軸はそのまま新会館へ[指す将が行く]
4年ほど前のこと。近い将来、彼は将棋界の全冠を制覇して、将棋会館で対局する姿を見かけなくなるだろう。ふと、そんな思いがよぎった私は、カメラの設定を「セピア」モードにしてシャッターを切った。関西将棋会館・御上段の間で対局する「藤井聡太」は普段通り盤上没我していた。さらば旧・関西将棋会館。藤井竜王の竜王戦対局を中心に、修業時代を過ごした旧会館での歩みを振り返る。(デジタル編集部・吉田祐也) 【写真】13年前の藤井聡太少年…指導を受ける姿
対局中の救急車の音、「イレブン」の勝負めし…思い出の詰まった旧会館
大阪市福島区から大阪府高槻市へと移転する関西将棋界の総本山。40年以上にわたって棋士やアマチュア愛好家を支えた。旧会館では11月28日が公式戦最終対局日で、12月3日から新関西将棋会館で次の歴史が動き出す。
大阪市福島区の旧会館は大通りに面していて、救急車など緊急車両が通るのは日常茶飯事だった。藤井竜王の対局のインターネット中継で「ピーポー、ピーポー」の音が、うっすらと響いていたことを記憶している方も多いのではないか。1階には飲食店「イレブン」が入っていて、「勝負めし」の注文はもちろん、棋士や将棋ファンの憩いの場でもあった。
そういえば、藤井竜王は「イレブン」でよくバターライスを頼んでいた。店側が気をきかせて、マッシュルーム抜きで作っていたのが懐かしい。現在は、小さくカットしたキノコ類ならば食べるようになっている。「高級キノコの代名詞であるマツタケは、いまだに食べたことがないですけど」と22歳になった藤井竜王は笑った。
杉本昌隆八段門下の「少年」、俊英ぞろいの関西奨励会で頭角を現す
2012年、藤井竜王は小学4年の時に杉本昌隆八段門下で関西奨励会に入り、愛知県瀬戸市から大阪市福島区へと通った。少年にとっての「通勤」が始まった。
藤井竜王は、棋士を目指す「神童」たちの中でも群を抜く終盤力と勝利への執着心で、順調に昇級を重ねた。将棋に対する集中力はすさまじく、例会で連敗してしまった時には、リュックを大阪に置いたまま家に帰ってしまったこともあった。勝負に対して熱くなる姿は、子供の頃から変わっていない。