「頭が悪くなる本の読み方」をしている人が多すぎる! 必ず知っておくべき「絶対にしてはいけない読書」
先行きが見えない「答えのない時代」を生きる私たちにとって、「自分の頭で考える力」は必須です。でも、何をどのように考えれば良いのか、どのように勉強すれば良いのか、具体的な方法がわからない人も多いでしょう。 【写真】「頭が悪くなる本の読み方」をしている人が多い! 必ず知っておくべきこと 気鋭の哲学者・山野弘樹氏が、自分の頭で考えて学びを深めるための方法=「独学の思考法」をわかりやすく解説します。 ※本記事は山野弘樹『独学の思考法』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
読書は「他人の思索の痕跡をなぞっているだけ」
まずは、次の文章を皮切りに「思索」という営みについて考えていきます。 読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。習字の練習をする生徒が、先生の鉛筆書きの線をペンでたどるようなものである。だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。(中略)ほとんどまる1日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失って行く。(127-128頁) 先ほどの引用箇所と同じく、ここでもショーペンハウアーは、本を読むという営みを痛烈に批判しています。 ショーペンハウアーにとって「本を読む」という行為は、「他人の考えた過程を反復的にたどる」という行為に他なりません。ここから、「本」が「他人の考えた過程」として理解されていることが明らかになります。 そして、そのような本を単に数多く受容するということは、様々な人たちがバラバラに考えたことを断片的に繋ぎ合わせていくことに他ならないのです。 結果、それによって得られるのは「他人からえた寄せ集めの材料からできた自動人形」(10頁)の如きものに他なりません。その動きは大変ぎこちなく、「なぜそう言えるの?」というたった1つの問いにすら、満足に答えることができないのです。他人の知識を継ぎはぎしたものと、自分自身の思索によって生み出された体系的な思考との間には、乗り越え難い開きがあります。