故郷の丘からの風景がくれた「何とかなる」の思い セコマ・丸谷智保会長
「競走馬のふるさと」と呼ばれる北海道でも、年に1頭か2頭の仔馬が生まれるだけの小牧場もある。「これも、北海道の人たちのためだ。これこそ拓銀へ入ってやりたかった仕事だ」と燃え、「何とかなる」の気持ちで実現へこぎつける。 拓銀の経営破綻後、外資系銀行の札幌支店長を9年務めた。その間に、拓銀札幌南支店で支店長をしていた先輩が会いにきて、一緒に飲んだ。先輩は、道内でコンビニエンスストアを展開するセイコーマートの専務になっていて、ある晩に「自分は70歳になるので、そろそろ引退するから、後任にきてくれないか」と誘われた。 ■店がなくなる村へ出店を決めて知った「客のために」の神髄 先輩に連れられて会ったのは赤尾昭彦社長で、実質的な創業者だ。話に「北海道の人たちのために」の熱っぽさを感じ、07年3月に入社。専務、副社長を経て、09年3月にセイコーマートの社長に就任。2020年4月に会長となった。持ち株会社セコマの会長も兼務する。 振り返って、「本当によかった」と思うのが、2014年12月19日の初山別村への出店だ。北海道西海岸沿いの村で、当時の人口が約1200人。町で唯一の店が閉店することになり、50代の村長がセイコーマートへ4度も訪ねてきて、涙ながらに「セコマさんしか頼むところはない」と出店を訴えた。話を引き取り、開店へこぎつける。 開店日にいくと、村長がぼろぼろと泣いていて、自分も泣けた。儲けようとは考えないが、赤字はダメ。続けられないで5年で閉めたら、かえって迷惑になる。村が用地を安く斡旋してくれ、村の人々が買い物にきてくれて、数年で黒字化した。 開店日の客におばあちゃんがいたので「何を買うの?」と尋ねると、「アイスクリームを買いたい」と答えた。 聞くと、それまでの買い物は若い人に車に乗せてもらい、遠い町のスーパーへ週1回いっていたが、アイスクリームは途中で溶けてしまうと思って我慢していた。今度は歩いてこられるから、好きなアイスをいくらでも買える、と言った。 「北海道の人たちのために」の神髄を知った。池田町の丘の上から見下ろした風景から生まれた『源流』が、大きな流れになった瞬間だ。(ジャーナリスト・街風隆雄) ※AERA 2024年11月25日号
街風隆雄