NHK大河ドラマでは描かれない…紫式部の死後に宮廷の貴公子たちと次々と浮名を流した娘・賢子の意外な大出世
■母親以上にたくましく生きた 万寿2年(1025)、娘を産んだ直後、道長の六女の嬉子が出産した親仁親王(嬉子は出産後に死去)の乳母に選ばれたことが幸いした。その後、東宮権大進の高階成章と再婚して一男一女をもうけていた賢子は、寛徳2年(1045)、親仁親王が即位すると(後冷泉天皇)、典侍(後宮の事実上のトップ)に抜擢され、さらには従三位に任ぜられた。 このとき、夫の成章も大宰大弐に就任しており、このため賢子は「大弐三位」と呼ばれるようになった。文才を母から受け継ぎ、歌集に『大弐三位集』があり、この名で百人一首の歌人としても知られる。 さらには80歳前後までの生存が確認されており、ある意味、母以上にたくましく生きたことが、史料から確認できるのである。 ---------- 香原 斗志(かはら・とし) 歴史評論家、音楽評論家 神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。 ----------
歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志