「ワンオペの限界…好きな教師の職だけど辞めよう」平野真理子の決断が娘・美宇の「卓球の道」へとつながった運命
私は生徒に対しても、わが子に対しても全力投球をしたいタイプ。こんなに慌ただしい毎日を送っていると、美宇の成長と向き合えないのではないかと思ったんです。ちょうどそのころ、夫が郷里・山梨県で就職することに。私も退職し、一緒に暮らそうと決めました。山梨でもう一度教員として働くことも考えましたが、「もしかしたら、神様が美宇とじっくり向き合うチャンスをくれたのかもしれない」と、いったん立ち止まることにしたんです。もし、夫と静岡県に暮らすことになっていたら、教員を辞める勇気はなく、ずっと続けていたかもしれません。
とはいえ、教えることが好きだし、社会との接点も持ちたい気持ちもあって、自分に何かできることはないかと考えたとき、夫の実家に卓球台がありました。これを使って「卓球を教えよう」と思ったのが、卓球教室を開くきっかけです。 ── 美宇選手が最初に卓球を習った教室ですね。 真理子さん:そうなんです。私が卓球を教えようと思ったのは、本当にたまたま。たとえば、もっとピアノがうまかったらピアノ教室を開いていたし、英語でも算数でもよかったんです。それが偶然、卓球を選んだおかげでわが子も「やりたい」と言って夢中になり、オリンピックまで出場しました。教諭を退職したのも、卓球教室を始めたのも、自然の流れのなかでのできごとです。振り返ってみると、それらすべてがうまくつながっています。もしかすると、何かに導かれていたのかもしれないと不思議な気持ちです。
PROFILE 平野真理子さん ひらの・まりこ。平野卓球センター監督。静岡県出身。山梨県在住。特別支援学校、小中学校等に約10 年間勤務。現在は山梨県で平野卓球センターを夫婦で経営。障がいのある人と社会との架け橋になりたいという思いから、インタビューや講演会などにも活動の場を広げている。東京・パリ五輪卓球女子団体銀メダリストの長女美宇、現在学業専念中の次女世和、発達障害があるが勉強と卓球の両立で活躍中の三女亜子の三姉妹の母でもある。自著「美宇は、みう。夢を育て自立を促す子育て日記」を上梓。
取材・文/齋田多恵 写真提供/平野真理子
齋田 多恵