23歳で早世した京大院生・山口雄也さん 自らドナーとなって支えた母親の無念と感謝
留年するも充実した1年間
大きな危機を乗り越えた2020年2月。普通ならこの時期、4年生は卒業旅行に出かけるが、雄也さんは闘病で卒業研究ができず、4月から再び“4年生”をすることになった。 ただし、卒業研究以外の課題リポートなどは病室で書いていたため、ほとんどの単位を取得していた。2度目の4年生は自由な時間が多く、「全国各地の美味しいものを食べる」という目標も立てた。 愛車のマツダRX-8を運転して、友人や彼女と九州、四国、北陸へ。福井で食べた寿司が絶品だったという。 また、人と会うことも大切にし、幼なじみや高校時代の部活仲間、大学の友人らとの再会を楽しんだ。もちろん、家族との時間も。七美さんが明かす。 「それまで私と2人だけで出かけることはほとんどなかったのですが、一緒に外食や映画、ショッピングを楽しみました。そのころ、日本海側に単身赴任をしていた主人を家族で訪ねて一緒に観光し、美味しい料理を食べました」 幼少期から読書が好きで、「いつか本を書きたい」という夢も実現させた。闘病のブログをまとめた、前出の著書(徳間書店)も夏に出版。同じ頃に大学院の入試にも合格し、未来が明るく輝いていた。
3回目の移植か、緩和ケアか
大学院入学を控えた2020年12月、母親の細胞のおかげで一度は消えたがん細胞が、再び増え始めた。今年1月に池亀医師から、「移植をしなければ春までの命」と余命宣告を受けた。 ただし、3度目の移植をしたとしても成功率は1割未満と低く、自宅で緩和ケアを受けながら好きなことをして過ごす、という選択肢も提示された。 七美さんは「治療は厳しいかもしれないが、ハプロ移植という選択肢があるのなら再び受けてもらいたい」と思った。医師にも伝えたが、一方で息子の大事な決断を妨げてはいけないとも考えた。雄也さんの気持ちの揺れを感じつつも、何も言わずに見守った。 雄也さんは、どちらを選ぶべきかを論理的に考えていた。 〈治療を受けるか、受けないかという判断を左右する因子をいくつも書き出して、フローチャートのように落とし込んで、Yesが多ければ治療を受ける方へ、Noが多ければ治療を受けない方へ重みをつけていきました〉(2021年3月21日 note「ぐっちのおと」) 熟慮を重ね、選んだのがハプロ移植だった。七美さんは「また奇跡を起こしてくれる」と信じていた。3月29日、雄也さんは3度目の移植を受けた。