23歳で早世した京大院生・山口雄也さん 自らドナーとなって支えた母親の無念と感謝
大学1年生のときにがんが発覚して以来、闘病の様子や生きることへの思いをSNSで発信していた山口雄也さんが6月6日に亡くなった。23歳だった。入院中、病院の近くにアパートを借り、山口さんを励まし続けたのが母親の七美さん。自ら造血幹細胞も提供し、息子の白血病からの回復を渇望していた。突然の別れから3カ月、京都の自宅で今の思いを聞いた。(取材・文 庄村敦子/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
まさか亡くなるなんて……
「初盆の供養も終わりましたが、まだ亡くなったという実感がわかないんです。雄也は旅行好きだったので、どこかに友達と旅行しているのではないかと思うときがあります」 仏壇と遺影が安置されたリビングルームで、七美さんは静かな口調でこう語った。 雄也さんは5月31日にツイッターで歩行訓練の動画をアップし、「ここからまた距離を伸ばしていきます」という力強いメッセージを発信していた。フォロワーからは喜び、感動、激励のコメントが多数寄せられた。
しかし、その次のツイートは、父親の睦雅(むつのり)さんによる「6月6日の朝、雄也は父と母に看取られて天国へ旅立ちました」という報告だった。あの歩行訓練から6日後に亡くなるまで、何があったのだろうか。 「じつは5月31日は、立ちあがるだけの予定でしたが、雄也の希望で少しだけ歩くことになりました。歩行器につかまって5メートル以上歩けたことが嬉しかったようで、私が撮影した動画を『欲しい』と言いました」 6月1日、2日も歩行訓練を続けた。だが、3日からは体調がすぐれず、ベッドで横になって過ごしたという。 5日は土曜日で、睦雅さんも面会に訪れた。好きなスマホも見ずにつらそうにしている雄也さんを励まし、遅くまで付き添い、「明日は早めに来るわ」と声をかけた。
翌朝、いつもより早く病室に入った睦雅さんから七美さんに電話があった。 「『血圧が下がってきている』と主人が言ったので、走って病院に行きました。11階までのエレベーターがとても長く感じました。病室に駆け込み、『雄也!』と呼びましたが反応がありません。手を握って『お母さんはここにいるよ』と繰り返したと記憶しています。雄也は苦しむことなく、眠るように息を引き取りました」 希少がんや白血病と闘い、奇跡を起こしてきた雄也さん。最後まで、生きることをあきらめなかった。