疲れた時に「してはいけないこと」。不調をチャンスとみなすカラダの整え方
不調はチャンス
「治す」と「治る」の違いに着目したのは、稲葉さんが最初ではない。 明治に生まれ大正・昭和期に活躍し、「整体」という言葉を日本に定着させた野口晴哉も、「治す」と「治る」の違いに注目している。 著書『風邪の効用』では、風邪や不調を早く治そうとあせって無理に治してしまうと、体がだんだん鈍くなると語っている。 野口流に言えば、風邪とは体が整うチャンスなのだ。不調を感じている時点で、体はすでにバランスが崩れた状態からバランスのとれた状態に戻ろうとしている。 だから風邪は治すのではなく、自然に治るまで経過させ、体の調和を取りもどすきっかけと考えた方がいい。 できるだけ早く風邪を通過させるには、体を敏感にしておくことが肝要だ。バランスの崩れをすぐに察知できれば、その分、素早く不調を経過させることができる。 自分にとっての「バランスが取れている状態」と、「バランスが崩れた状態」をよく観察して知っておくことも大事になる。
自分の「調子」をどう測る?
ところで、あなたにとっての「調子が良い状態」は、どういう状態だろうか。私たちはえてして、自分の「好調」には「不調」以上に鈍感かもしれない。誰しもに当てはまるとは限らないけれど、一つヒントをご紹介しよう。 「整体」の施術を実践する片山洋次郎氏は、田畑浩良氏と藤本靖氏との共著『共鳴するからだ ─空間身体学をひらく』の中で、こんなふうに語っている。 施術を行うとき、重視しているのはクライアントが「視界が明るくなる状態」になること。視界のぼんやりした感じがとれて、目の前の世界の鮮度が高くなったと感じたら、施術は成功といえる。 目は、視神経によって脳に直結している感覚器だ。『いのちを呼びさますもの』の著者、稲葉さんの言葉を借りれば、「人間の目は、脳が変形してできている」。そう考えると、視界を観察して体全体の調子を測るというのは、試してみる価値がありそうだ。
「調子」を細分化せず、全体をみる
英語の「Health(健康)」という言葉の語源は、古英語の「Hal」だ。「完全」を意味する。「Hal」からは、「Health」とともに「Holism(全体性)」や「Holy(神聖)」などの言葉が派生した。もともと健康は、完全体や全体性のなかで語られるべきものでもあっただろう。 現代の医療では、不調があったらできるだけ体を細分化して原因の箇所を特定し、その原因を攻撃して治そうとすることが多い。風邪薬が鼻・喉・頭など患部別に分かれていたり、肩こりと腰痛の治療薬が別物になっていることを考えると分かりやすい。 けれど、このように「部分に分けて体を見る」姿勢が定着する以前の伝統医療では、もっと心身全体をまとめて捉えて、その全体のバランスを整えることを考えてきた。不調が表面化している一部分だけを「治す」のではなく、相互に支えあって成り立つ体の中で動く「関係性」を捉えようとする見方だ。西洋医学的な「治す」技術とあわせて、身体全体をホリスティックに見ていく東洋的な身体観を取り入れてみるのはどうだろう。 かつてこのようなことを、鈴木大拙はこう説いた。 「一二三四五」と分割したり切断したり限定したりして、ついには殺してしまうような世界だけに生きていては、人間の全貌はわからぬ。したがって人間らしい生涯は営まれない。どうしても、一たびは円融自在、事事無礙(じじむげ)の世界を一瞥しなくてはならぬ。(鈴木大拙『東洋的な見方』より) ※この連載は、ほんのれん編集部の共同チーム編集です(ほんのれん編集部:仁禮洋子、山本春奈、尾島可奈子、梅澤奈央)。ポッドキャスト「ほんのれんラジオ」も好評配信中。
山本春奈