スキャンダルや炎上...揺らぎやすい「推しへの思い」を文章にして残すことの価値
好きなもの、推しているものの良さを、言葉にして誰かに伝えたいという気持ちは多くの方が抱えるものです。 【データ】現代人が1か月に読む本の冊数 しかしそんな「推し語り」には、気持ちを人と共有するだけでなく、自分自身の感情を大切にする重要な意味がある、と書評家の三宅香帆さんは語ります。 ※本稿は『「好き」を言語化する技術 推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を一部抜粋・編集したものです。
「好き」は、簡単に揺らぐもの
なにが起きても絶対に変わらず好き、なんてほとんどあり得ません。 たとえば、あるアイドルがすごく好きでも、そのアイドルが自分の想像とはまったく違う行為をしていた。すると自分の「好き」がよくわからなくなってしまう、なんて体験もよく聞く話です。 スキャンダルはわかりやすい例ですが、人によっては髪型やメイクを変えるイメチェンや、あるいは意外な趣味を持っていたことすら、「好き」が揺らぐきっかけになり得るかもしれません。 または、すごく好きな映画があったけれど、他人が「駄作じゃん」って言ったのを聞いた途端、急に好きかどうかわからなくなってしまった。これ、映画に限らず本でも漫画でもアニメでも音楽でも、よくあることです。他人がNGをだしているのを見て、急に「好き」が色褪せた経験、あなたにも一度はあるんじゃないでしょうか。 大人になって「好き」が冷めてしまうこともありますよね。昔すごく好きだったキャラクターなのに、大人になるとその魅力がわからなくなる。思春期にハマっていたミュージシャンの歌詞が、社会人になってなんとなくピンとこなくなる。これもよくある現象です。 そう、「好き」って、揺らぐものなんです。揺らがない「好き」なんてない。 自分も生きて変化していくのだから、好みも変わっていくのは当たり前です。もしくは、好きな相手が生身の人間だとしたら、相手だって変わっていきます。自分の思う通りに存在するわけがない。 だから、絶対的な「好き」なんてほぼあり得ないもの。そして「好き」が揺らいだとしても、それを嘆く必要はまったくありません。だって当たり前だから。むしろ揺らがない「好き」なんて、盲目的な執着であって、本当の意味で「好き」なわけじゃないのかもしれません。 「好き」は、一時的な儚い感情である。そんな前提を内包しているんですね。それは悲しいことでもなんでもなくて、そういうものなんです。