慶應野球部メンタルコーチが考える<なでしこジャパン>が2011年に世界一に輝いた理由。出場辞退も議論される中、佐々木監督がある映像を見せて…
◆「自分たちのため」だけの目標から 当時のなでしこジャパンを率いていた佐々木則夫監督は、準々決勝のドイツ戦、そして決勝のアメリカ戦を前に、選手たちにある「映像」を見せました。 そのときのエピソードを、次のように回想しています。 「ドイツ戦の前に見せたのが『われわれは日本を代表している』という映像でした。何のために、この大会を戦っているのか。それは震災で打ちひしがれた人たちに、われわれが一生懸命ひたむきにプレーする姿を見ていただいて、何とか元気になってもらうためだよね? そのことを、映像を使って再確認することができました。 決勝の米国戦では『次のステージに向けて』――つまり復興ですよね。ドイツには勝ったけれど、そこで収まらずに新しいステージに向かっていこう、というメッセージを込めました」 (宇都宮徹壱「2011年の東日本大震災となでしこジャパン 佐々木前監督が語る『あの時考えたこと』」Sportsnavi /2019年3月11日) これが「誰かのために」です。 当初、なでしこジャパンが掲げていた目標は「ベスト4以上に入ってメダルをとる」、そして「一度も勝っていないアメリカに勝つ」ことでした。 これらは自分たちがワクワクすること、つまり「自分たちのため」だけの目標でした。 そこに「被災地の方たちを元気づける」という「誰かのために」の要素が加わったことで、なでしこジャパンは次々と強豪国に勝ち、決勝ではアメリカと対戦。 PK戦までもつれた激闘を制し、優勝の快挙を成し遂げたのです。 ※本稿は、『強いチームはなぜ「明るい」のか』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。
吉岡眞司
【関連記事】
- あるトレーニング導入後にリーグ戦優勝、大学日本一と次々に結果を出した慶大野球部。実はその姿を間近で見ていたのが「弟分」の…
- 慶應・森林貴彦監督 高校野球オタクの少年時代、二足の草鞋で達成した日本一。「〈甲子園優勝〉を〈人生最高の思い出〉にはしてほしくない」
- 慶應・森林貴彦監督の描く高校野球の未来とは?「任せる、信じる、待つ、許すー自分で答えを見つけてほしい」
- 慶應野球部森林監督 話し合いを経て、やむなく内野手志望選手をキャッチャーに。彼がコンバートを受け入れてくれたことでチームに起きた「変化」とは
- 慶應野球部森林監督「なぜうちの子を試合に使わない!」親が子の道にレールを敷く<親子間の距離の近さ>が野球界に与える影響とは