サヘルローズさん、無視や暴言…いじめの経験 「死にたい」と母に伝えたら… 「学校はすべてじゃない」
「お前も不法滞在者か?」ひどい言葉
――8歳の時に日本に来たのはどんなきっかけがあったんですか。 私は1980年代に起きたイラン・イラク戦争の戦争孤児です。実は、自分の本名も生年月日も分かりません。テヘランの孤児院にいた時に今の母が引き取り、養子縁組をしてくれたんです。サヘル・ローズという名前も母がつけてくれました。 当時の母の旦那さんが日本で働いていたので、母と私は日本に来たんです。でも、私に対する養父からの虐待が日に日にひどくなり、母は私を連れて家を飛び出し、2週間ほど真冬の公園で野宿生活をしていました。 それでも、親切な方に出会い、埼玉県で暮らしていましたけど、母の仕事の都合で港区に引っ越したんです。 日本語が片言の母は、清掃業など幾つも仕事を掛け持ちしていました。いつも働きずくめの母を見ていたから、学校でいじめにあっても、余計な心配をかけたくありませんでした。 ――中学ではさらにひどいいじめに遭ったんですよね。 当初は、先輩たちには外国人ということで珍しがられ、言葉もいろいろとしゃべれたからアイドル的存在になっていました。 でも、それを面白くない同級生たちがいて、おもらししたとか、誕生日会に腐ったケーキを食べさせられたとか、臭いといった小学生の頃の話を、尾ひれはひれをつけて流布されたんです。 しかもその頃、東京・上野でイラン人が偽造テレフォンカードを売っているとか、不法滞在者が摘発されるとか、覚せい剤の密売とか、とにかくイラン人の悪いニュースばかり流れていました。 どこの国にもいい人悪い人がいると思うのですが、級友たちは私にも「あなたも偽造テレフォンカードを売っているの」「お前も不法滞在者か?」「覚醒剤売ってるのか?」などと、とても残酷な言葉を投げつけてきたんです。 誰かのお財布がなくなれば、真っ先に疑われるのは私でした。自分の生まれた国や親をばかにされて悔しく、悲しくて……。 でも、彼らは人を傷つけける言葉を吐いているって自覚があまりなかったと思います。言葉の暴力は相手の心をぐしゃぐしゃにするけど、外見は傷つけないので。 それがどんどんエスカレートして、肩が触れただけで「ばい菌がついた」と言われ、そのうち「サヘル菌」と呼ばれるようになりました。 かと思えば、朝「おはよう」と教室に入ると、室内はシーンとして、完全に無視されるときもありました。私の存在が消されてしまうので、言葉の暴力以上に無視はつらかったかな。