「なにより経済」 2024年、3つの選挙を振り返って
2024年には7月に都知事選、11月に衆院選、同じく11月にアメリカ大統領選と、3つの大きな選挙が行われた。その勝利に共通するのは「痛みへの理解」だとするのは、小説家の榎本憲男さん。ご本人によるコラムをお届けする。 * * * ■ハリス氏や蓮舫氏に見えなかった「痛み」 2024年11月、トランプ大統領が第47代アメリカ合衆国大統領に就任することが決まった。七つの激戦州、すべてで勝利しての圧勝であった。激戦になるとか、ハリスが優勢だとか報道していた大手メディアが信頼を失うことはまちがいないだろう。なにが見えてなかったのだろうか? 僕に言わせればそれは「痛み」である。痛みは経済政策に由来している。経済に痛めつけられている者の痛みを鈍感なマスコミは感知できなかった、ひとことで言えばそうなる。 先の都知事選での石丸伸二の予想外の2位、衆院選での国民民主党の躍進、そして今回のトランプ大統領の圧勝はつながっている。スキャンダラスなストーリーよりも、切実な痛みについての感心と、ワイドショー化し芸能色に染まりがちな報道の在り方についての忌避感も強まりつつある。 石丸伸二は、先の都知事選で、当選こそならなかったものの、長年国政に携わってきた蓮舫議員をしのぐ票を獲得し、2位に食い込み、知名度を一気に押し上げた。これは実質的には勝利と言っていいだろう(映画『ロッキー』のでの引き分けみたいなものだ。タイトル獲得はならなかったが、ほとんど勝利である)。 蓮舫候補は、音楽家坂本龍一がこれに反対し、小池百合子都知事に手紙を送った、神宮外苑のイチョウ並木を含む樹木の伐採や再開発を、上位のイシューとして取り上げていた。僕の目には、坂本龍一の人気にあやかってこの問題に乗っかったように見えた(だいたい、あの計画のどこが大問題なのか)。さらに、蓮舫は選挙カーに大勢の美女を乗せ、その中心に自分が収まって、ディスコミュージックをかけ「みんなきれいだよー」というアナウンスした。坂本龍一というサブカルのアイコンとバブリーなディスコサウンドと、景観の問題。すくなくとも、蓮舫の選挙戦は、経済にともなう痛みに対して敏感だとはとても思えない。