金メダルの稲葉ジャパンと4位だった13年前の北京五輪代表の何がどう違っていたのか…星野ジャパン“007”の証言
三宅氏がピックアップした2つのシーンがある。ひとつは、5回二死一、二塁のピンチに、ソチ五輪のショートトラック5000mリレーで銀メダルを獲得していて、夏冬二刀流選手として注目のアルバレスを迎えた場面だ。最初から全力で飛ばし球数が80球に迫っていた森下は追い込んでからボールが3つ続き、フルカウントとなった。次打者は米国打線で最も怖い横浜DeNAのオースティンである。だが、ここで甲斐は、アウトローのストレートを要求した。アルバレスは、低めの見逃せばボールの球に手を出しショートゴロに倒れた。 もうひとつは6回から救援した千賀がコントロールに苦しみ二死一、二塁から6番打者のウェストブルックにボールが3つ先行、なんとかフルカウントに持っていった場面である。勝負球を巡ってソフトバンクバッテリーは、意見が合わず甲斐の方から両手を広げてサインを出し直している。選択したのは、森下と対照的にインハイのストレート。狙い通りにバットの芯を外し、キャッチャーファウルフライに打ち取っている。 「森下のカーブが、どこかで意識としてあるからこそ、アルバレスは体が前に動いてボール球を打たされた。千賀もそう。迷っていたが、最後はストレート。千賀は8月2日に1度目の対戦の際にこの打者にフォークを3球使って追い込み最後はスライダーで三振に打ち取っていた。打者に残像として残っている球種を利用して裏をかいた。いい捕手は記憶力がいい。甲斐は、それを覚えていただろう。甲斐は、その読みを打者としても使い、積極的にファーストストライクを狙い打ちしてMVP級の活躍をしていた」 甲斐は、若手投手陣を引っ張っただけでなく、開幕のドミニカ共和国戦で同点のセーフティスクイズを決め、決勝ラウンドの米国戦でもタイブレークで初球を狙い打ってサヨナラ打を放ち、準決勝の韓国戦でも値千金の四球を選び打線をつないでいる。 その甲斐は「苦しかった」と心境を告白した上で「アメリカはいい打線。森下とは守らずに攻めるときは攻めていこうという話をした。本当によく投げた。ピッチャー陣が一生懸命投げてくれた」と、最強の日の丸投手陣を称えた。 そして「自分のプレーよりもチームが勝ったのが一番」と、三宅氏が指摘した稲葉ジャパンの団結力を象徴するような言葉を残した。 三宅氏は稲葉監督の采配も勝利を呼び込んだと見ている。 「今日は、ベンチが継投にしろ、代走にしろ、先手、先手を打った。大会の最初には、どうかなという継投ミスがあったが、勝つことで救われ、決勝戦には、監督自身が、その経験を生かしていた。勝負ごとは勝たないかん…ほんとにそう思った」
現在、岡山で少年野球を教えている三宅氏は、こう言って電話を切った。 「子供たちは、エンゼルスの大谷翔平の話題で持ち切りだけど、この金メダルは、また子供たちに憧れの選手や舞台を増やしてくれたと思う。私たちが果たせなかった13年越しの金メダルが野球界に与える影響や意義は大きいんとちゃうかな。本当にありがとう」 稲葉監督の優勝インタビューも感謝の言葉だった。 「テレビを通じてたくさんの方々が応援してくださった。たくさんの方々のサポートがあり、みんなでつかんだ勝利だと思う」 1億人の円陣を組もう…大会前のプロモーション映像のテーマが、横浜の夜空の下で結実した。