金メダルの稲葉ジャパンと4位だった13年前の北京五輪代表の何がどう違っていたのか…星野ジャパン“007”の証言
三宅氏は稲葉ジャパンの戦いに北京五輪のチームとの大きな違いを感じたという。 「チームの団結力と勢い、そしてチームコンディションがまるっきり違っていたと思う。画面からも、1球1球、ベンチ全員がひとつになって声を出して集中し団結している姿が伝わってきた。北京五輪を戦ったチームも前年に台湾で行った予選までがそういうチームだった。でも、本番では、まるっきりそういう空気がなくなっていた。プロ野球も中断せず、みんな自分の所属チームの勝ち負けが気になって、そんな話ばかりをしていた。勝ちたいと本気で思っている選手と、そうでもない選手の温度差があった。星野監督のやり方にそっぽを向く選手もいた。決勝をテレビ解説していた宮本がキャプテンでそんなチームをまとめるのに苦労していた。今回はプロ野球も中断し、野球界全体が金メダル獲得に一つの方向を向いていた。その分プレッシャーはあっただろうが、度胸のある若手の勢いが、そんなものを弾き飛ばしていたように思う」 団結力に加えて三宅氏が違いとして挙げたのがチームコンディションだ。 「北京のチームは深刻な怪我人ばかりだった。4番を打った新井貴浩は腰を骨折していたし、村田修一、森野将彦、川崎宗則、西岡剛らも万全ではなく、抑えでフル回転した岩瀬仁紀にも疲労が蓄積していた。今回は不安のあった菅野、中川、会沢らは辞退していたし、チームの中心選手にコンディション不良の選手はいなかったように思えた。逆に山本、森下、伊藤、栗林、村上といった若手の勢いが目立った。北京では、星野監督が野球界の将来を考えてマー君を選び経験を積ませたが、中心的な役割ではなかった。今回は若手が堂々の中心選手。そこに甲斐や坂本らがリーダーとなり、打線では、どんな舞台でもマイぺースを崩さず自分の力を発揮できる吉田が軸になった。鈴木、浅村らの不振が隠れてしまっていた。北京のチームはダルビッシュや阿部慎之助みたいに名前のある選手は揃っていたが、本当のチーム力という点でも投打ともに北京のチームより今回のチームが上だったと思う。稲葉監督の人選が素晴らしかった」 そして三宅氏が“元007”の目線で評価したのは甲斐の存在とキャッチャーとしてのリードだ。 「甲斐の配球は、その日の投手のいいボールを使い、すべてを出し切らせてやろうというものだった。何度も日本一になっているチームの司令塔だからこその力。森下の縦のカーブを有効に使い、高低の緩急をつけた。横だけの変化ならばつかまっていたかもしれないが、フルカウントからの勝負球にもカーブを使い、米国打線にそれを意識づけさせた」