「やったことのないことにチャレンジした」黒沢清監督&柴咲コウが語った『蛇の道』での新たな挑戦
『岸辺の旅』(14)、『スパイの妻 劇場版』(20)などの黒沢清監督が、1998年の自作をフランスに舞台を移し、柴咲コウの主演でセルフ・リメイクしたリベンジ・サスペンス『蛇の道』(6月14日公開)。柴咲が8歳の愛娘を殺されたフランス人の父親の復讐に協力する日本人の美しき心療内科医を演じた本作は、どのように作られたのか?撮影現場ではなにが起こっていたのか?MOVIE WALKER PRESSでは、初めてタッグを組んだ黒沢清監督とヒロインの小夜子を演じた柴咲を直撃。驚きの撮影秘話と映画に込めたそれぞれの思いを語ってもらった。 【写真を見る】設定も大きく変わった『蛇の道』に柴咲コウはどう挑んだのか ■「限られた映画ファンしか観ないで終わらせるのは勿体ない」(黒沢) ――黒沢監督は『蛇の道』をなぜフランスでセルフ・リメイクしようと思われたのですか? 黒沢「(『女優霊』『リング』などの)高橋洋がオリジナル脚本で書いた復讐劇の設定が秀逸でしたから、限られた映画ファンしか観ないVシネマ(オリジナルビデオ作品)で終わらせるのは勿体ないと以前から思っていたんです」 ――柴咲さんも撮影に入る前にオリジナルの『蛇の道』をご覧になったと思いますが、どんな印象を持たれましたか? 柴咲「今回は98年版のセルフ・リメイクですけど、主人公の性別も舞台になる国やシチュエーションも違うので、また新しいものになるのかなって思っていました。ただ、私は、黒沢監督の作品は答えのない人間の生き様を表現しているものが多いなと個人的に思っていて。他人に指摘されて、『えっ、私ってそんな風に思われていたんだ!』ってハッとさせられる経験は私にもあるけれど、そんな人間の曖昧さをオリジナル版も今回のフランス版でも感じました」 ――柴咲さんが演じられた主人公は、心療内科医の新島小夜子です。 柴咲「私はこれまで能動的な女性を演じることが多かったので、ミステリアスで物静かな小夜子役に選んでいただいたのが意外で。黒沢監督にも『なぜ私なんですか?』と尋ねましたが、なにを考えているのか分からない小夜子を、彼女の本心の見せ方を考えながら、観客を最後まで引きつけられるキャラクターにしていくことに次第に興味が湧いて。フランス語に挑戦できることにも喜びを感じたんです」 黒沢「柴咲さんは、とにかく目つきがいいですよね(笑)。あの目で見つめられると、男性はあらぬ方向へと誘導さてれしまう気がする。それで、全編フランス語なので引き受けてくれるか心配でしたけど、一か八か声をかけさせてもらったら、『だからこそやりたい!』と快諾していただけたんです」 ――オリジナル版では男性教師だった主人公をなぜ日本人の女性医師に? 黒沢「深い考えがあってそうしたわけではなくて。フランスで以前撮った『ダゲレオタイプの女』が全員フランス人のキャストだったので、単純にあの時とは違う経験をしたいと思ったんです。ただ、フランス人の男性たちの中に日本人の女性が1人いる構図になったことで、一見弱々しく見える彼女が実はすべてをコントロールしているのではないか?という雰囲気が強くなったような気がします」 ――柴咲さんは小夜子にどのように臨まれたんですか? 柴咲「私は撮影に入る半年前から日本でフランス語のレッスンを始めて、撮影が始まる1か月前から約2か月にわたって滞在したパリでもほとんどその練習に費やしました。小夜子の言葉に説得力がないといけないし、相手の言葉を理解していないことが透けて見えると最悪ですから。あとは、メトロに乗って買い物に行ったり、マルシェで店員さんと会話をして、パリで10年間暮らしてきた彼女を身体に自然に馴染ませていきました」 黒沢「パリはいろんな国籍の、様々な人種の人たちが暮らす国際都市なので、ネイティブなフランス語で話さなきゃいけないということでもなくて。10年住んでいる小夜子なりの街に馴染んでいる感じや、自分にフィットした生活を無理なくしている彼女らしさが自然に出るといいなと思っていました。ただ、具体的にそれがどんな感じなのかを言葉にすることはできなかったので、現場に小夜子の衣裳とヘアメイクで現れた柴咲さんを見て、逆に『ああ、これこれ』って理解した感じでした(笑)」 柴咲「私は東京でも普段、自転車に乗るんですけど、同じ感覚でパリでも自転車を漕げたのはよかったですね。観光だとなかなか自転車に乗らないし、最近はシェア・サイクルも増えてきたけれど、住んでいる人ならではの漕ぎ方はまたちょっと違いますから」 ――柴咲さんは監督の演出や言葉で印象に残っているものはありますか? 柴咲「黒沢さんは『こうして欲しい』ということを強く言われる監督ではないんですけど、撮影に入る前は不安もあったし、この作品をフランスで撮る黒沢さんの思いや真髄みたいなものを知りたくて、いろいろ質問してしまったんです。でも、すぐにそれは浅はかな行為だったことに気づいて。監督は言葉にならないものを映画にするわけだし、その言葉にならないものを汲み取って表現していくのが俳優ですから。そんな当たり前のことを勝手に学ばせてもらいました」 ――小夜子は淡々としていて、なにを考えているのか分かりません。 柴咲「“淡々と”が狙いっぽくならないように、それが虚無なのか、小夜子の狙いなのか、誘導なのか?を観ている人が考えられるものになればいいなと思っていて。私も真面目に物事を考える時は無表情になるみたいで、『怖い』ってよく言われるから、それが出ればいいなと思っていました(笑)」 黒沢「小夜子は確かに無表情で終始冷静なんですけど、数か所だけチラッと、しかし明らかに憎しみの表情を見せる瞬間があります。それはオリジナル版で主人公を演じた哀川翔さんにはない表情ですけど、そこがポイントだと思っていました。復讐に燃えるアルベール(ダミアン・ボナール)に寄り添いながらも、激しい感情をグッと抑えているのが分かる。脚本からはそれがどんな表情なのかはっきりわからないし、僕も細かく演出はしていないのに、チラッと現れる柴咲さんのその表情は胸に迫るものがありました」 柴咲「いや、小夜子だったら絶対そういう表情になるでしょ!って思ったし、逆によく気持ちを抑えられるなと思いました。蓄積された憎悪だから、抑えるのが通常モードになっているんでしょうね」 ■「最初から“こうする”と決めて、ほくそ笑んでいる彼女を楽しみながら演じました」(柴咲) ――アルベールの娘の殺害に関与した、財団の関係者たちを監禁する隠れ家での小夜子の言動もクールで怖かったです。 柴咲「私も同じタイプですけど、小夜子はウロウロしないし、やるべきことを計画的にこなして、あとは新聞を読んでいる(笑)。壁に新しい鎖と拘束器具を溶接するのを、彼女が自分で淡々とやるのもおもしろいと思いました」 黒沢「アルベールは拳銃をバンバン撃つけれど、彼女はほとんど撃たない。人にさりげなく渡したり、置くのが彼女のやり口で。鎖に繋がれた財団関係者2人の前に拳銃をポンと置いて去っていくところなんて、本当に憎たらしいなあと思いましたね(笑)」 柴咲「すぐ感情的になるアルベールと違って、小夜子は衝動で動くことはない。最初から“こうする”と決めていて、ほくそ笑んでいる彼女を楽しみながら演じました(笑)」 ――あの隠れ家の一連のシーンではオリジナル版と同じ黒沢作品ならではの不穏な空気感も印象的でしたが、現場でなにか感じるものはありましたか? 柴咲「あの隠れ家では機械的な描写もちりばめられていて、生身の人間とその機械的なものとの構図やバランスが絶妙なんです。引きの画が続くところがあるんですけど、そこではピチョンと跳ねる水の音も硬くて機械的なものに感じられる。そこをさまざまな思いを抱えた人たちが歩くと、生々しさと硬さが相まった独特な空気が生まれるのがおもしろいなと思いました」 ――監督は公式コメントで柴咲さんのことを「野獣のような身のこなし」と評されてましたが、なにを見てそう思われたのですか? 黒沢「柴咲さんがアクションをどこまでできるのか正直分からなかったんですけど、やってみたらスゴくて。相手を押さえ込んだり、物を投げる動きが動物のように俊敏で、『荒々しく』と言わなくても獰猛な感じがする。それこそ、車に乗ってから発車させるまでの速さは映画史上最速ですよ(笑)」 柴咲「ちゃんとシートベルトもしてますからね(笑)」 黒沢「みなさん、何気なく見ると思いますけど、シートベルトを締めてからエンジンをかけ、ギアを 入れて出発するのって、誰がやっても時間がかかるんです。だからハリウッド映画でも編集で大抵ごまかしているんですけど、柴咲さんはめっちゃ速いから、車に乗ってから出発するまでをワンカットで撮ることができたんです(笑)」 柴咲「私は普段からほかの人の1.3倍のスピードで生きているんですよね。運転も好きだし、そのせっかちな性格がこの作品では功を奏したのかもしれないです(笑)」 ■「完全に本物の人間が入らなきゃダメだというムードになっていた」(黒沢) ――これもオリジナル版と同じシチュエーションですが、ポスターにもなっている人の入った袋を引きずりながら草原を走って逃げるシーンの撮影はいかがでした? 黒沢「あれは大変でした」 柴咲「腕が千切れるかと思いました(笑)。それぐらい重かったんです」 黒沢「俳優ではなくて、少し軽めのスタントの方でしたが、本当に入っていたので引きずるのは大変だったと思います」 柴咲「しかも、けっこう長い距離を運ばなければいけなくて。走りながら、『まだ行くの?まだカットがかからないの?って思っていました(笑)」 黒沢「いやいや、僕ももちろん重いでしょうから、人が実際に入らなくてもいいように『比較的軽い人形を用意しています』って言ったんですよ。でも、現場が完全に本物の人間が入らなきゃダメだというムードになっていたし、柴咲さんもダミアンも『やります』って言ってくれたので、お願いして。大変だったと思いますけど、そのおかげで、あの必死さとリアルな形相を撮ることができました」 柴咲「今回は天気も味方をしてくれたと思います。私がプライベートや別のお仕事でパリに行く時はいつも晴れるんですよ。でも、この映画を撮っている時はいつも黒沢仕様の天気で、敢えてグレーと言うか、いつも曇天で(笑)。あれが晴天だったら、あんなアンニュイな雰囲気にならなかったと思うし、冒頭のシーンも1回ザ~っと降った雨が1回ピタッと止まった時に撮ったんですけど、そこも太陽がちょうど雲にかかって、建物や地面が少し暗いいい色合いになっているんですよね。あのバランスは絶妙だと思いました」 ■「小夜子でなければ日本人らしさがもっと出ていたかもしれない」(柴咲) ――柴咲さん以外の日本人の出演者は、小夜子の患者・吉村役の西島秀俊さんと夫の宗一郎を演じた青木崇高さんだけですが、2人のシーンもパリで撮ったんでしょうか? 黒沢「もちろんです。西島さんは以前からのつきあいで『スケジュールが空いていれば出ますよ』って言ってくれていたんですけど、その時にたまたま空いていたと言うか、空けてくれて。1日だけだったんですけど、パリの病院で撮影しました」 柴咲「お2人とのシーンは数少ない日本語でお芝居をするシーンでしたが、そこで小夜子の考えていることが出過ぎてしまってはいけないので、そのバランスが難しかったですね。ただ、西島さん演じる吉村とのシーンは小夜子のキャラクターが浮き彫りになる象徴的なシーンでもあって。吉村は周りのすべての人間が敵に見えて疑心暗鬼になっているんですけど、小夜子は医者なので、対象的に白衣を着て優しく冷静に対処していきます。そんな相容れないものを纏った2人だなと思いながら、演じていたような気がします」 黒沢「一方の宗一郎のほうは、僕は最初から青木さんをイメージしていたんですけど、予算の都合で一度は諦めざるを得なくて。仕方なくロンドンに住む日本人の俳優にお願いすることになったんですが、その人がクランクイン直前に日本に帰ってしまったんです。その時にフランス側のプロデューサーが『彼を東京から呼び戻す』って言うから、『ちょっと待ってください。それなら青木さんに来てもらってもいいじゃないですか』と僕が訴えたんです。そしたら、青木さんのスケジュールがたまたま空いていて、身軽な彼が撮影の数日前に東京からひょいっとやってきてくれたので、本当に助かりました」 柴咲「宗一郎とのシーンは劇中ではPCの画面越しのお芝居でしたけど、実際の青木さんはフランスの小夜子のアパートメントの隣の部屋で撮影に臨んでくれたので、東京にいる人とお芝居をするのとは違う安心感がありました。たった1日だけの対峙で、私たちは10年ぐらい一緒に暮らしていた夫婦の雰囲気を作りださなきゃいけなかったわけですけど、青木さんはその距離感を掴み取るのがお上手で。そこに私も小夜子も乗っからせてもらう感じでしたね(笑)」 ■「日本の俳優ってスゴい!フランス人俳優だとなかなかああはいかない」(黒沢) ――黒沢監督は公式のコメントで本作はご自身の「最高傑作」と言われていますが、あの言葉はどんな思いから出てきたものだったのでしょう? 黒沢「これまでやったことのないことにいろいろチャレンジし、仕上げも含めてそれを上手く乗り越えられたことが大きいですね。それに、これは本当のことですが、フランス人のスタッフがみんな柴咲さんや西島さん、青木さんのお芝居を見て『日本の俳優ってスゴい! みなさん、お芝居が本当に安定していて、テイクを重ねても同じようにできる。現場の雰囲気にたった1日で溶け込めるのにも驚いた。フランス人の俳優だと、なかなかああはいかないよ』って心から称賛していて。日本の俳優のレベルの高さを証明できたのも、今回の現場のうれしい出来事だったんです」 ――柴咲さんもパリでフランス人の俳優やスタッフと初めてお仕事をされて、これまでとは違う刺激や新たな気づきを得たと思うのですが、いかがですか? 柴咲「国民性や国ごとの習慣の違いは身体に表れると思います。それこそ、日本人は“共感”を大事にするから、頷く動きが多くなりがちだけれど、アルベールと対峙している時の小夜子はそういったものを排除していましたからね。彼女だったからフランス人との違いがあまり大きく出なかったような気もするし、なにを考えているのか分からないミステリアスな印象も強くなったんじゃないかな。小夜子じゃなければ、異国にいる日本人らしさがもっと出ていたのかもしれないなと、演じ終えたいまは思っているところです」 取材・文/イソガイマサト