ホスピス医が語る「人生最後の日」に人が望むもの、「この世を去る」前に気持ちの変化が訪れる
これまで私が看取りに関わった患者さんの中には、自然が大好きで「自然が常に自分を守ってくれている」と言っていた方や、信仰心が篤く、「神様が守ってくださっているから大丈夫。何も怖くありません」と言っていた方もいらっしゃいました。 いずれにせよ、ゆだねる相手をしっかりと信じることができれば、たとえ明日が人生最後の日だとしても、人は穏やかに、幸せに過ごすことができるのではないかと、私は思います。 ■死は耐えがたい「絶望」と「希望」を一緒に連れてくる
命に関わる病気であることがわかったとき、あるいは余命を宣告されたとき、一番辛いのは、もちろん本人です。 しかし、そばで見守るしかない家族の心労も相当なものです。特に余命宣告を受けたのが子どもだった場合、ご両親は大きなショックを受けます。以前、がんであることがわかり、余命半年と宣告された18歳の男性の看取りに関わったことがあります。 彼は自分自身で病気や治療方法について調べ、抗がん剤などによる治療を受けないと決めました。そうした治療に時間を費やすよりも、残りの時間を自分らしく自由に過ごしたいと考えたのです。しかしご両親は、わずかでも可能性があるなら治療を受けさせ、息子に1日でも長く生きてほしいと望みました。
ご両親の意見と、「自分の選択を尊重し、見守っていてほしい」という患者さんの意見は真っ向から対立し、親子の間には一時、険悪な雰囲気が漂いました。どちらの言い分もわかるため、私もずいぶん辛い気持ちになったものです。私は定期的に患者さんのもとに通い、患者さんからもご両親からも、たくさんの思いと言葉を聴きました。 やがて、ご両親は葛藤の末に、患者さんの意思を全面的に受け入れる覚悟を決めました。 「少しでも長く生きてほしい」という自分たちの願いをあきらめ、息子の最後の望みを聞き入れる。それは、非常に辛い決断です。けれど、その決断によって、親子は良好な関係を取り戻し、ご両親が患者さんと腹を割って話す機会も増えました。