そしてマツダだけが残った 誕生35周年を迎えた「ロードスター」とそれに挑んだモデルたち
2年弱で14万台以上を販売
1989年5月にアメリカでMX-5ミアータ、そして同年9月に日本ではユーノス・ロードスターの名で初代NAロードスターが発売された。キャラクター的にはMGのような比較的気軽に楽しめる古典的なライトウェイトスポーツに近かったが、リトラクタブルライトを備えたそのボディーは初代「ロータス・エラン」にも通じるスタイリッシュでモダンな雰囲気を持っていた。 パワーユニットは開発コストを抑えるべく既存の1.6リッター直4 DOHCを流用していたので動力性能はそこそこだったが、開発陣が掲げた“人馬一体”というコンセプトを具体化した軽快なドライブフィーリングは高く評価された。そこにMade in Japanならではの品質と信頼性の高さ、そして割安な価格が加わったのだから、とりわけ海外市場においては鬼に金棒だった。 ちなみに国内でのNAロードスターの価格は170万円。基本的に同じエンジンを積む同門の「ファミリア1600GT」の150万円前後と比べても20万円くらいしか違わなかったのだ。 デビューと同時に世界的な話題となり、注文が殺到。企画段階でアメリカからは「月販3000台はいけるだろう」という話だったが、ふたを開けてみたら冒頭に記したように1990年までの2年弱で生産台数14万台以上というスポーツカーとしては類を見ない大ヒットとなったのである。 当のマツダ自身、ここまで売れるとは想像していなかったかもしれない。だがそれ以上に驚いたのは、マツダを除く世界中の自動車メーカーだったのではないだろうか。「あんなのでいいのならウチだってつくれた」「ウチならもっと……」などという負け惜しみがそこかしこで発せられたのではないかと思うが、マツダからすれば「寝言は寝て言え」といったところだろう。 とはいうものの、他社とてNAロードスターが飛ぶように売れていくのを愚痴りながら指をくわえて眺めているわけにもいかない。急いでオープン2座スポーツの開発を始めた。 時系列でいえば一番手は1990年に登場した2代目ロータス・エラン(M100)。当時ロータスと同じくGM傘下にあったいすゞ製のパワーユニットを積んだFFスポーツカーだが、デビュー時期からも明らかなようにNAロードスターの出現以前に開発が始まっていたに違いなく、フォロワーとはいえない。