硫黄島に大量に残る不発弾。板橋区とほぼ同じ広さの島へ米軍は約4万の砲弾を放ち、日本兵が抱えて突撃した爆発物も…処理担当の団員が口にした複雑な想いとは
◆不発弾への警戒レベル 不発弾を巡っては、こんなこともあった。 遺骨収集作業後のミーティングで弾薬さんが、強い口調でこう注意喚起した。 「安全管理事項として提言します。明らかに不発弾であるものをですね、手渡しで渡す方がおられます。不発弾かどうか分からない物については仕方ないのですが、明らかに不発弾であるものを『これ手榴弾』『これ銃弾』といって自衛官に渡すのは止めてください。これは皆さんの安全のためですのでよろしくお願いします。以上です」 島に渡って間もないころの僕は不発弾が出るたびに、びくびくしていたが、多くの銃弾や手榴弾などに接するうちに、警戒心は薄れていった。 この日の弾薬さんの注意喚起以降、僕は再び不発弾への警戒レベルを上げることにした。 ※本稿は、『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』(講談社)の一部を再編集したものです。
酒井聡平
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