結局、人生の悩みの原因は人間関係――「生きづらさ」を抱えた鶴見済が到達した「こまめにあきらめていく」境地
鶴見は、日本では家庭、学校、会社という枠組みがあまりにも重視され、結果的に、それが人を不幸にしているのではないかと警鐘を鳴らす。 「日本って、すごく家族愛や友情が素晴らしいって言いすぎるし、美化するんですよ。家族問題の専門家も、家庭を美化しすぎるところが問題だと言ってるんです。家族は無理してくっついてるけど、もうちょっと離れればいいんですよ。学校だって、狭いところにみんなでずっと一緒にいるでしょ? そうすると、依存したり、ムカついたりとかが出てきたりする。だから、家族愛や友情を美化する価値観からどうにかしないとダメなのかもしれないですね」
家族だから仲良くする必要なんてない
鶴見は新著『人間関係を半分降りる――気楽なつながりの作り方』で、人間関係をめぐる現在の価値観の多くは、実は明治維新以降のものであり、歴史の浅いものだと指摘している。近代教育制度による学校の設置は明治以降。江戸時代には「母乳」という言葉自体がなく、それは母親だけではなく周囲のコミュニティーで乳児を育てるのが一般的だったからだとする。 「母と子の関係は、あまりにも美化されているんです。どっから始まったんだろうって調べてみると、明治時代以降に、ヨーロッパからヒューマニズムや啓蒙思想が入ってくるんですよ。乳児死亡率が高かったから、『母子愛』や『母性』を大正時代になって国をあげて宣伝しはじめたんですよね。家族だんらんが定着したのは戦後っぽいんです。結婚も、江戸時代は次男、三男はそんなに結婚してないんですね。調べてみると、70年代って、家族だんらんが一般的になって、学校の登校率も結婚率も一番高くて、そこから下がっていくんです。農家の次男や三男は結婚もできなければ子どもも持てないような時代よりは良くなったんでしょうけど、だんだん過剰になってくるんですよ。『他の人はみんな結婚してるのに、お前は結婚もしなくて恥ずかしい』って」
鶴見が、そうした価値観に疑問を持ちはじめたきっかけは、家族や学校、恋愛に関しての経験からだという。 「兄がいるんですけど、兄が家族に対して暴力も振るうし、嫌がらせもして。俺に対しては小学生の頃からずっと続きましたからね。今でも『兄弟げんかは仲がいい証拠』って言われるんですけど、そういう感覚が問題を改善しない原因になっているんじゃないですかね。兄とは絶交して、20歳ぐらいから会ってません。実家でも会わないように、年始のスケジュールを調整してますから。家族だから仲良くする必要なんてないんですよ」 クラスメートをちゃかしていた高校の友人たちとも、大学進学時に完全に縁を切った。 「大学に入るときに全く新しい人間関係でスタートしたのって、その年に起きたどんな社会の大事件より俺にとって大きい出来事でした。本当に良かったですね、そういうふうにして」 今でこそ、同居する女性と便宜上結婚しているが、そもそも恋愛を至上価値とする周囲に違和感を抱いていた。 「高校の頃の日記を見ても、全然同級生の女の人の名前が出てこないし、名前を覚えてるのはひとりしかいないんですよ。誰もが女子のことを好きだっていうことになってたんですけど、俺、みんな心にもないことを言ってるんだと思ってましたよ。アイドルの誰が好きだなんて、嘘だと思ってましたし。そのくらい全然関心なくって。でも、後悔してないんですよね。関心もないのに、女子を好きになんなきゃいけないとか、青春に乗らなきゃいけないと思ってたほうが、たぶん後悔してたかなって。そういう青春みたいなことに全然乗らなかった自分を、むしろ褒めたいですね」