結局、人生の悩みの原因は人間関係――「生きづらさ」を抱えた鶴見済が到達した「こまめにあきらめていく」境地
1990年代から一貫して「生きづらさ」をテーマにした執筆活動を行い、ときに日本社会に大きなインパクトを与えてきたライターの鶴見済(58)。それから約30年を経て、鶴見は新たな「解決策」を見つけているという。「人間には醜い面があるのだから、少し離れてつながろう」というスタイルだ。鶴見は、どうしてそんな考え方に至ったのか。そして、具体的にどう実践しているのだろうか。(撮影:佐々木康太/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
日本は家族愛や友情を理想化しすぎている
かつて社会現象にもなった『完全自殺マニュアル』(1993年)で鶴見が書こうとしたのは、「いつでも死ねると思えば生きられる」ということだった。彼が抱えてきた「生きづらさ」と向き合った結果だった。 「高校の頃に、対人恐怖症、社交不安障害を発症してしまって、その後、それを引きずることになってしまったんです。授業中にあてられて、ちょっと口ごもったりして、それを笑われると、『またそうなったらどうしよう』となることも多くて。80年代は、特に『ビートたけしのオールナイトニッポン』の翌日は、クラスでお互いに人間観察をしては、変なところを笑うようなことが繰り返されていましたね」
人格を変える方法を詳細に紹介した『人格改造マニュアル』(1996年)など、多くの著書で鶴見は生きづらさと対峙してきた。その彼が、ひとつの結論を見いだしたというのだ。 「10代から20代の日記を今、読み返してみると、書いてあるのは他人の名前なんですよ。結局、苦しんでいた原因は、人間関係なんだろうな、って。学校で苦しむと、学校制度のせいだと思いがちなんですよ。会社に行って苦しんだから『会社のせいだ』とか90年代の自分は批判していたんです。でも、改めて考えてみると、人が不幸になるのって、やっぱり『佐藤』とか『鈴木』とか、名前のある個人のせいじゃないですか。仮に学校制度が今と同じでも、嫌なやつがひとりもいなければ、別に大丈夫ですよ。うつや不安も、具体的な名前を持った個人の影響が大きいと思うんですね。もちろん、社会の問題も重要だけど、身近にいる嫌な個人の問題って、あまりにも言われてこなかったんじゃないかって。だから、人間関係を良好にすることは、人の幸せにとって大きいなって思いますね」