『虎に翼』でハ・ヨンスが好演する朝鮮半島からの留学生、崔香淑が示したもの。紡がれた「加害」の歴史
香淑はなぜ日本名を名乗るようになったのか
―先ほど崔さんがおっしゃったように、香淑は、寅子の同僚である汐見圭と結婚したあと、汐見香子(しおみ きょうこ)という日本名を名乗るようになります。その背景を詳しくお伺いしてもいいでしょうか。 崔:日本は、1940年から朝鮮で「創氏改名」を実施しました。要するに、朝鮮式の姓と名前を日本風のものに変えさせるという通達で、表面上は強制力を伴わないということになっていますが、実際には強制的な制度でした。 ドラマのなかで、圭が寅子に香淑のことを話す際、「自分との結婚をきっかけに名前を変えた」というセリフがあり、改名したことを匂わせています。香淑役を演じたハ・ヨンスさんのインタビュー(*1)で、ヨンスさんは「ヒャンスクは創氏改名をしなかった」と述べていました。自分の国に対して愛情があり、創氏改名には抵抗していたけれども、圭さんと結婚したことで、彼女は決断をしなくてはならなかったのだと思います。 内地の戸籍に入ることになって、日本では夫婦別姓もありえないので、その時点で汐見の姓になることは確定する。そこで汐見香淑(しおみ こうしゅく)と名乗ることもできたわけですが、彼女はそこで「汐見香子」と名前も変えるという決断をしたのだと思います。 ―創氏改名は、日本と朝鮮半島に住む人々を同じにしようという「同化政策」の一環として行なわれたのでしょうか? 崔:そうですね。1940年はまだ朝鮮半島に徴兵制が施行されていませんでしたが、ゆくゆくの徴兵制に向けての政策でもありました。 私の名字は崔ですが、母は「趙(チョウ)」といいます。そして、母方の祖母の字も異なります。韓国では結婚しても女性の姓は変わらず、子どもは父方の姓を名乗ります。もちろんみんな家族ですが、名字が違うんです。日本式の氏をつくり家族の関係を明確にすることによって、日本の「イエ制度」に朝鮮人を組み込んでいく目的が強くあったといえます。 ―なるほど。そして、表向きは強制ではないとしながらも、実質強制的な制度であったと。 崔:私は朝鮮半島の留学生や中等教育の研究をしているんですが、当時、学校は創氏改名を奨励する場になっていました。朝鮮人の先生たちが率先して日本名を名乗るようにして、先生が率先して変更するから君たちもやりなさい、という場所にもなっていたんじゃないかと想像がつきますよね。