【F1チームを支える人々:フランシス・ストークス/アルピーヌ】兵士からF1物流担当に。困難を乗り越えキャリアを構築
F1チームには多数の人々が関わり、さまざまな職種が存在する。この連載では、普段は注目を浴びる機会が少ないチームメンバーに焦点を当て、その人物の果たす役割と人となりを紹介していく。今回は、アルピーヌのシニア・ガレージ・テクニシャンとして物流関係を担当しつつ、ジャッキマンも兼任するフランシス・ストークスに焦点を当てた。 【写真】フランシス・ストークスは、物流担当者でありつつ、ピットストップクルーの役割も果たしている ──────────────── F1の世界で働くことを人生の夢と考え、その実現のために努力する人々は大勢おり、それぞれが独自の方法で経験を積み、進歩を重ねながら、F1への道を切り開く。しかし一方で、最初はF1でのキャリアを全く考えていなかったという人々もいる。アルピーヌで働くフランシス・ストークスはそのひとりで、最初は軍隊で働いていた。 ストークスは16歳になる直前に英国陸軍の上級連隊である王室騎兵隊に入隊した。イギリスのウィンザーで乗馬訓練を修了した後、彼は2年間にわたり王室の結婚式やパレードなどの儀式的な任務に従事した。 その後、戦車に乗る役割を担い、6年間にわたって兵士として勤務したが、2015年、連隊とともにブリュッセルにいた時に、脳卒中を患った。 その出来事は彼の人生に大きな影響を及ぼした。視力に支障が出て車の運転ができなくなり、体の片側が弱まり、不安障害にも苦しむことになった。これらすべてが重なって、ストークスは回復に専念することになり、2017年初めに退役した。 長年、王室騎兵隊で働いてきたストークスは、24歳にして、突然新しいキャリアを見つけなければならない状況に直面した。 以前から車とモータースポーツに強い関心を持っていたストークスは、回復に専念している時期に、ミッション・モータースポーツという慈善団体から支援を受け、グッドウッドに参加した。その慈善団体についてさらに学ぶなかで、彼は戦車における能力を車に適用し、レースの分野でスキルを身につけていった。 一年間の休養の時期に、彼は元同僚から誘われて、ジャガーのフォーミュラEチームでボランティア活動を行い、シーズン前に機材のテストのためにガレージの設営をした。 当時、ジャガーのフォーミュラEチームは、ウイリアムズF1チームの本拠があるイギリス・グローブに拠点を構えていた。ある日、ストークスが食堂に向かう途中、ウィンザーで戦車部隊として共に勤務したことのある兵士と偶然出会い、会話したことがきっかけで、ウイリアムズの面接を受けることになった。 ストークスは、数週間後に、イベントサポート技術者としての職を得た。最初はグローブからの海上貨物の物流を担当、初めて現場に行ったカナダではガレージの設営やセキュリティ業務を行った。その後、役割はより運営的なものに進化し、燃料やタイヤの管理を受け持つことになった。 ウイリアムズで5年間にわたって経験を積んだ彼は、アルピーヌに移籍し、1年間はタイヤ担当として勤務した。その役職におけるハイライトは、2023年のモナコGPで、エステバン・オコンとともに表彰台を獲得したことだ。2024年にはストークスは、シニア・ガレージ・テクニシャンに昇進した。 チームコーディネーターと連携しながら、ストークスは主に物流、トラックの移動、ガレージの設営に注力している。F1チームの複雑さと過酷なスケジュールを考えると、必要な機材が適切なタイミングで利用可能であること、あるいは他の場所での設営を可能にするために必要なものを優先して送り出すことは、極めて重要だ。 役割の多くがレースイベントの開始時と終了時に集中しているため、ストークスはピットストップクルーの一員としても働いている。予備のリヤジャッキマンを務めた後、シンガポールGP以降は、正式なリヤジャッキマンに就任し、ノーズ交換が必要な場合には、サイドジャッキも担当している。副次的な仕事として非常にプレッシャーがかかる役割を担当するのは簡単なことではなく、彼が優れたスキルを持ち、強い献身を示していることは明らかだ。 ストークスは将来的にさらに多くの責任を担うことを目指している。チームコーディネーターの役割や、F1そのものの組織で、スポーツ全体の物流や貨物輸送を担当することが目標だ。軍隊での非常に困難な時期を乗り越えた彼は、第二のキャリアにおいて前進するための強い決意を固めている。 [オートスポーツweb 2024年12月26日]