なぜ長谷部誠は40歳まで第一線でプレーできたのか? 「1試合の総走行距離がすべてを物語るわけではない」
長谷部には類まれなスキャン能力と決断精度がある
長谷部が現役中に見せた「すごさ」はもっとちゃんと語られるべきだろう。 守備的な選手を取り上げた記事はパッとしないものが少なくない。本来求められている役割でもないのに「○○フル出場も無得点」みたいな見出しになったりもする。無得点なのが悪いみたいなニュアンスを感じさせないだろうか。もう少し文章が書き添えられていても、「△△完封勝利に貢献」みたいなあいまいな表現でまとめられておしまい。でもそれってあまりに扱い方がぞんざいじゃないだろうか。 現役時代の長谷部誠のすごさについて、改めてもう一度スポットライトを当ててみたい。 サッカーはチームスポーツだ。攻撃だけが華々しければいいわけではない。チームのために必要なタスクは多種多様であり、それぞれにおけるタスクを理解して、その働きぶりを評価できたほうが、そのスポーツをより楽しむことができるはずではないか。 攻撃をよりよい形で機能させるためには、攻撃的な選手が自分のタイミング・間合いで味方からパスをもらうということが大切になる。相手のガッチガチのマークに苦しんでいるときに急にパスを渡されても困るし、小柄な選手のもとに届きもしない高いボールを蹴り込まれてもどうしようもない。 そこをコントロールするのがDFの選手ということになる。よく試合ではDF間で右へ左へ、時にGKにもボールを下げながら自陣でパスを回していることがある。なぜああしたパス回しが必要なのかというと、そうやって時間を作ることで、攻撃的な味方選手が自分たちで仕掛けやすいポジションと状況を作り出せるようにしているわけだ。 長谷部は味方選手の状態を常に観察しながら、彼らが自分のプレーを発揮しやすい状況を逃さずに、最適なタイミングでスムーズな動作から正確なパスを提供していく。チームメイトが気持ちよく躍動している裏では、長谷部がいくつものおぜん立てをしていたのだ。
「1試合の総走行距離がすべてを物語るわけではない」
フランクフルトにおいて、長谷部はチーム事情に応じてDFとしてだけではなく、守備的MFで起用されることもあった。チームの中でも特に運動量が要求されるポジションながら、フィールドプレーヤーとしてブンデスリーガ最年長の選手がプレーするのは一見現実的ではない。 だが長谷部には類まれなスキャン能力と決断精度がある。サッカーにおいて特に大事なのはポジショニングと体の向きだとされている。どんなにフィジカルで勝る相手でも先に良いポジショニングと体の向きを取っておけば、そして相手が次にどんな動きをしてくるか推測することができたら、フィジカル的なスピードで負けていても相手よりも優位に立つことができる。 まるで相手選手が長谷部に向かってパスをしたんじゃないかというくらい、あまりにもあっさりとボールを奪ってしまうシーンが何度もあった。ただのカンなどではない。試合の流れ、相手の位置、味方の動き、パスの展開などから次に起こりうる状況を論理的に推測し、事前にスタンバイしているのだ。 ドルトムント監督時代にユルゲン・クロップが「1試合の総走行距離がすべてを物語るわけではない。いつ、どこで、どのように走り、どこでスピードを上げるのか。試合において重要なのは正しい走り、正しいプレーをどれだけできているか、だ」と強調していたことがあった。 ボールを追いかけ回しているだけでは守備に貢献しているとはいえない。守備において問題になるのは、空間的にフリーでボールを持たせているという現象よりも、プレー選択肢がいくつも作れるという状況を与えてしまうということ。チームとしてプレスをかけられる状況にあっても、最初の選手がボールホルダーに対して詰めながらも寄せきらないと、プレー選択肢を奪うことができないのだ。このように一つ一つのプレーにおける解釈を整理して、突き詰めて、味方選手を操舵して、守備を構築するのが長谷部のすごさだった。一緒にプレーすると味方選手が見違えるようにいい動きを見せるのにはそうした背景があったのだ。