子どもの可能性を潰す「無責任なほめ方」とは? 過信した“勘違いモンスター”を生む可能性も…
無責任なほめ方は勘違いモンスターを生む
それから、次のようなケースもあります。 たとえば、歌うことがすごく好きな子どもがいるとします。 しかし、この子の歌が上手いかと聞かれれば、普通程度の歌唱力です。 ここで母親が次のようなほめ方をするとしましょう。 「すごい! ○○ちゃんは歌が上手だね! 将来は歌手を目指してみるといいんじゃない? 絶対売れるよ!」 母親が子どもに対し繰り返しこのようなほめ方をしていて、そこに父親や周りの大人たちも賛同したらどうなるでしょうか? 実はすでに今の時点でこの子は、自分の歌を過信したとんでもない勘違いモンスターに変貌する可能性を大いに秘めているのです。 もしこの子が歌一本で頑張ると決意し、もっと技術や知識をつけるために専門学校に行きたいと言い出したら、べた褒めして持ち上げた大人たちの責任はあまりにも大きすぎます。 もちろん、本当に歌手かと思うぐらいこの子の歌が上手くなる可能性もありますが、これはそのときになってみないと分からないことであり、ただの結果論です。 下手すると我が子を潰しのきかない道に誘導することになりかねないので、過剰にほめることは、ある意味人の人生を狂わす可能性も秘めているんですよね。
物事にはコツをつかむまでの時間や労力が必要である
今回のコラムで何が言いたいのかと言うと、問題から目を背けさせるようなほめ方や理解は、子どものためにならないし、可能性を潰す恐れがあるということが一つ。 そして無責任なほめ方をすると、これもまた子どもの可能性を潰す恐れがあるということです。 言わずもがな、人にはそれぞれ向き不向きや、得手不得手があります。 現代では、「向いてないことはしなくていい」「得意なことだけ伸ばせばいい」とよく言われていますし、僕もそのように情報発信することはありました。 しかし本当にそれが自分に向いていないことなのか、苦手なことなのかは、ある程度取り組んでみないことには分かりません。 それが生まれて始めて取り組むものであったり、始めて間もないことであればなおさらです。 要するに、試行錯誤する余地や改善できる余地があるのに、向いてない、苦手だと決めつけてしまうのは、自分の可能性の幅を狭めてしまう結果になるということです。 「合う、合わない」は「なんか嫌」「なんか違う」と感じる感情なので、これは比較的早い段階で分かります。 ですが向き不向きや得手不得手は、それなりに努力した先じゃないと分からないので、できないと思っていたことが得意分野に切り替わることは珍しくないんですよね。 とくに技術を要するもののほとんどは、上手くなるまでに時間がかかりますし、むしろそれまでの期間はかなりの苦痛を伴います。 つまり、コツをつかむまでは苦行でしかないので、諦めてしまいやすいということです。